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発売目前! 白石一文、書き下ろし最新刊『投身』 冒頭を無料公開

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白石 一文

『投身』(白石 一文)


ジャンル : #小説

 混ぜっ返してきた。

 もともと藤光は慎重な性格で、よもや酒気帯びでハンドルを握るようなタイプではないので、旭も内心で「ま、いいか」と思う。二階堂さんを除けば誰かとこうして一緒に飲むのは久方ぶりだった。

 去年、会社員時代からの親友の山口真由里と門前仲町で二人忘年会をやったのが最後だった気がする。

「じゃあ、今夜は飲もうか」

 さっきと正反対のことを言うと、藤光がわずかに笑みを浮かべて頷いた。

 それからは差しつ差されつで二人で飲む。

「この店、美味いね」

 追加で頼んだ〆のかた焼きそばを頰張りながら藤光が言う。

 紹興酒の四合瓶もほとんど空になり、彼の顔はほんのり赤く染まっている。旭の方はちっとも変わりがない。

「兄貴の嫁さんって、ねえさんも何度か会ったことあるよね」

「うん。奈央子さんでしょ」

 旭たちの親は二人とも亡くなり、三鷹のマンションもすでに処分済みだった。なので、例年正月は笠間に帰省している藤光一家を訪ねて、日向と陽介にお年玉を渡している。去年はコロナで自粛したが今年の正月はレンタカーを借りて年賀の挨拶に行った。

「彼女が来月、実家の敷地にカフェを開くんだ」

「カフェ?」

 初耳だった。正月、銀光一家、藤光一家とみんなで正月料理を囲み、そのとき奈央子さんとも喋ったが、そんな話は出なかった。

「栗を使ったケーキやタルトを作って出すらしいよ。二年くらい前に自家製の栗のロールケーキを笠間の道の駅で売り出したら、それがかなり好評らしくてね。地元のテレビなんかでも紹介されて、それで、庭の一部を潰してカフェと販売所を作ろうっていう話になったらしい」

「そうなんだ」

「その相談もあって麗たちは出かけたんだ」

「相談?」

「カフェを開くにあたっては麗もいろいろアイデアを求められているんだ」

「なんで?」

「そりゃ、麗だって六三郎の娘だからじゃない?」

「六三郎」というのは、旭たちの両親が三鷹でやっていた定食屋の名前だ。父が亡くなったあとは母が一人で切り盛りしていたが、その母も十年近く前に死んで、店は人手に渡った。いまは店名を変えて居酒屋になっているようだが、旭は店の前を通ったことさえ一度もなかった。

「六三郎」は三鷹では名の通った食堂で、グルメ本やガイドブックには必ず紹介される人気店でもあった。

「麗に相談したって意味ないよ」

 旭が言う。

「なんで?」

「あの子、商売っ気はゼロだから」

「商売っ気?」

 藤光が訊き返してくる。

「そう」

「そんなことないよ。あいつは子供たちが巣立ったら六三郎を復活させたいってずっと言ってるから」

「そっちの商売っ気じゃなくて、私が言っているのは正真正銘、商売の気ってこと」

「商売のキ?」

 また訊き返してくる。

「元気の気、病気の気、商売っ気の気」

「なに、それ?」

 藤光はますます分からないような顔をしていた。

「六三郎はおとうさんの舌とおかあさんの商売の気で繁盛してたの。で、その二人の遺伝子は全部、私に来ちゃったのよ。だからあの子が商売をやってもそこそこにしかならないの。奈央子さんも麗に相談してるようじゃあ繁盛店は作れないと思うよ」

「へぇー」

 藤光は感心したような声を出す。

「ねえさんの舌が凄いってのは麗に聞いたことあったけど。六三郎で新作を出すときは必ずおねえちゃんに味見して貰ってたとか、モトキが繁盛しているのはおねえちゃんの舌の力のおかげだとか……」

「どんなに美味しい料理を出す店でも、客を呼び寄せる“気”がなくちゃ繁盛はしないのよ。母が先に死んで父だけで店を続けていたら六三郎はきっと駄目になってたよ」

「じゃあ、ねえさんは両方持っているんだ。だから、自分は滅多に食べないハンバーグとナポリタンの店を出しても当たっているってわけだね」

「滅多にじゃない。私は、店のハンバーグもナポリタンも一度も食べたことないから」

「一度もないってのは大袈裟でしょ。だって季節ごと、月ごとに味を微妙に変えているって言ってたじゃない」

「そうだよ」

「だったら……」

「毎月、使う肉を変えているわけ。大井町界隈で付き合いのあるお肉屋さんが何軒かあって、月ごとに店だけじゃなくて肉の銘柄も変えてるの。うちのは豚と牛の合いびきなんだけど、配合の割合もそれぞれの肉の味を確かめて決めているしね。出来上がったハンバーグの味見はしないけど、ひき肉の味はちゃんと見てるんだよ」

「だったらハンバーグの味見もすればいいんじゃないの?」

 藤光がいかにも不思議そうな表情で訊く。

「ハンバーグは好きじゃないんだよ。ナポリタンもケチャップ、バター、パスタの種類を毎月、全部変えてるけど、店で出すナポリタンは食べたことがないし」

「じゃあ、ナポリタンも嫌いなわけ?」

「好きじゃない」

「うーん」

 以前、似た話をしたときと同じように藤光は釈然としない様子だった。

「ファッションデザイナーだってほとんど男でしょ。それと同じだよ」

「ちょっと違うと思うけど……」

 藤光はボトルに残っていた紹興酒を自分のグラスに注ぐと、一息で飲み干した。

「ねえさんって、もしかして天才?」

 真顔になって言う。

「いやだなあ、そういう営業マン的なトークは。私も勤めているときさんざんやったけど、もう二度とやらない」

 旭が言うと藤光が苦笑いした。

 藤光は長年、厨房機器のセールスをやっているが、旭も短大を出ると医療機器メーカーに就職して、四十一歳で退職するまでの二十年近く、レントゲン装置や内視鏡、各種分析機器などの営業に携わっていた。

 最初の二年間は内勤だったが自ら志願して現場に出ると、一定の営業成績を積み重ねて、以後はずっとセールスとして働くことができたのだった。

 

4

 

 父の名前は兵庫元基。彼は終戦の年、昭和二十年の十一月に生まれた。

 元基の母親は兵庫琴美。父親はいない。

 当時は出征兵士の子を宿した女性が夫の戦死で母子家庭になる例は多々あったようだが、彼の家はそうではなかった。

 琴美が不倫の末に産み落としたのが元基だった。

 琴美の実家である兵庫家は代々、鹿島神宮の神官を務めていた。そのため、琴美が不義の子を身ごもったと知った父親は即刻娘を勘当したという。

 都内の産院で出産した琴美は、乳飲み子を抱えて三鷹に移り住み、そこで書道師範の免状を活かして小さな書道塾を開いた。

 旭の母となる岡山鈴音は三鷹駅前のパン屋「岡山ベーカリー」の一人娘で、もとは琴美の開いた書道塾の塾生であった。元基も母の塾に通ったので、二人は幼い頃からの顔見知りだったのだ。

 元基は幼少期より母親譲りの才能を発揮し、塾内でも一目置かれる存在だった。鈴音は二歳年少ながらも華麗な筆遣いで美しい文字を描く元基のことをずっと憧れの目で見ていたという。

「おとうさんは料理の腕前も素晴らしかったけど、でも、書の非凡さは次元の違うレベルだった」

 夫を亡くしたあとも、鈴音はことあるごとにそんなふうに言っていたのだ。

 中学を出ると元基は、母親の書道仲間が経営している赤坂の料理屋に板前見習いとして住み込んだ。これは琴美の計らいで、やがて書家として大成するには若い時分に世間の荒波にもまれるのが必須だと彼女は考えたのだった。

 琴美の誤算は、元基には書の才能のみならず料理人としての格別な才能が備わっていたということだ。元基はいまで言う「神の舌」の持ち主だった。

 つらいはずの板前修業も楽しいばかりで、彼はやがて書家への道はうっちゃって料理人として大成するのを夢見るようになる。

 これには琴美が慌てた。いずれは嫁に迎えようと密かに考えていた鈴音を息子の元へと送り込み、二人でタッグを組んで強く翻意を促した。

 すでに恋仲だった鈴音もまた元基の書の才能を深く惜しんだ一人だったのだ。

 母親と恋人の説得を受けて元基の気持ちは揺れたが、それでも板前を辞めるという踏ん切りはつかなかった。花柳界の伝統が残っていた当時、赤坂の夜はきらびやかで、まだ半人前とはいえその包丁と舌の冴えに目をつけた贔屓筋が、元基のことを大層可愛がってくれていたのである。

 結局、元基が料理人の道を諦めたのは、二十三歳のときに母の琴美が病に伏したからだった。琴美の病気は転移を伴う乳がんで、その時代の限られた治療手段では延命が精一杯だった。

 琴美は二年の療養の後にこの世を去る。

 元基は母親にずっと寄り添い、書道塾では母に代わって塾生たちに書を教えた。二度目の入院の前には鈴音と祝言を挙げ、できれば孫も抱かせてやりたいと願ったが、それは叶わず、三度の入院を経た一九七〇年(昭和四十五年)、琴美は天国へと旅立っていった。享年四十九。元基二十五歳、鈴音は二十七歳になっていた。

 母の死後、元基の書への情熱は本物になった。

 小さな書道塾の実入りだけでは夫婦の口を養っていくのもたいへんだったが、鈴音が実家を手伝い、相応の収入を得てくれていたから暮らしに困ることはなかった。一人娘の鈴音は三鷹界隈では評判の美人で、それもあって「岡山ベーカリー」は繁盛店になりおおせている面もあったのだ。

 新聞社が主催する大きな書展で入選を繰り返すなど、元基の書家としての将来も明るかった。

 琴美の死から二年、念願の第一子を鈴音が身ごもる。

 翌年、一九七三年(昭和四十八年)四月十七日、長女の旭が誕生した。

 何もかもが順風満帆のように見えていたが、実は、旭が生まれる半年ほど前から予想もしないような事態が元基の身に起きていたのだった。

 筆がまともに握れないのだ。

 元基の右手に原因不明の痺れが生じていた。

 最初は黙って回復を待っていたのだが、やがて元基の書の出来映えを見た鈴音が異変に気づく。そこからは夫婦二人での名医捜しが始まった。

 症状の一番の特徴は、毛筆を使ったときにだけ右手の指先に痺れを覚えるということだった。たとえばボールペンや鉛筆を同じように握ってもなんら問題はない。なのに毛筆を手に画仙紙に向かうとすぐさま痺れが起きる。

 幾つも回った整形外科、脳神経科の医師たちは、症状からして原因は機能的、器質的なものではなく精神的なものであろうと口を揃えて言った。当然の判断だったろう。

 心療内科や臨床心理士のもとへも通い、さまざまな療法を試したが、元基の症状が消えることはなかった。

 祈禱、お祓いのたぐいも何度も受けた。だが霊験は現われない。

 症状が発現して二年半が過ぎた一九七五年(昭和五十年)五月、元基は書道塾を閉じ、書家の道を断念した。そしてその年の十月、塾のあった敷地を買い取り、鈴音と二人で定食屋「六三郎」を開店したのだった。

「六三郎」は、鈴音の父親の名前だった。土地を取得して店舗を建てることができたのは、すべて鈴音の実家からの援助のたまものだった。せめてもの感謝のしるしとして夫婦は父の名を店の名前としたのである。

 およそ十年ぶりに握る包丁だったが、持って生まれた舌の能力と板前の技量はまったく錆び付いてはいなかったようだ。看板娘として「岡山ベーカリー」を盛り立てた鈴音の人を寄せる“気”の力にも与り、「六三郎」はたちまちのうちに客足が途絶えぬ繁盛店となったのだった。

 筆を捨ててからは元基が書をたしなむことは一度もなかった。

 残っていた膨大な作品群もすべて処分されたので、持明院流の流れを汲むという彼の流麗闊達な筆遣いを娘たちは目にしたことがない。

「六三郎」の品書きでさえ、元基は自分ではなく鈴音に書かせていたのである。

 あれは元基が亡くなる三日前のことだ。

 休みの日で、旭は久しぶりに三鷹の実家マンションに帰って寛いでいた。鈴音は、前の年に生まれたばかりの日向の面倒を見るために麗たちの家に行っていた。当時、麗一家は同じ三鷹市内に住んでいたのだ。

 昼餉も終わり、元基と差し向かいで居間の炬燵に入っていた。三月初旬のまだ寒い日だった。

「初孫ってそんなに可愛い?」

 元基も鈴音も日向が生まれてからは四六時中孫の話ばかりしていた。正月に藤光一家も交えて実家に集まった折も「じいじとばあば」そのもので、旭にすればいささか食傷するくらいだったのだ。

「そりゃ、可愛いさ」

 元基はそう言って相好を崩す。

「目に入れても痛くないってほんと?」

 からかい半分で訊ねると、

「そりゃあそうだよ」

 案外真顔で答える。

 去年の十一月に還暦を迎えたとはいえまだ充分に若々しい元基が、わずか三日後に脳溢血で急死するなど旭には思いもよらない。

「たしかに目の中に入れても痛くないほど孫は可愛いが……」

 旭が黙っていると、元基が不意に言葉を継いだ。

 なぜか口調がいつもとは違っていて、旭はやや怪訝な心地でその顔を見る。

「人は大事なものを一つ貰うと、同じくらい大事なものを一つ失ったりする。だからお前は無理に子供なんて産まなくてもいい。孫は日向がいれば、俺もかあさんも充分に満足だから」

 いつも寡黙な元基が改まった口調でそんな物言いをするのは珍しかった。

「一つ貰うと一つ失う? おとうさんにもそういう経験があるの?」

 旭が問い返すと、彼は小さく頷いた。

「俺が筆を持てなくなったときがそうだったよ」

 無念という感じはさらさらなくて、それは何か遠く懐かしい風景を眺めるような口振りだった。元基が手の痺れで書家の道を諦めたという話は母の鈴音から幾度となく聞かされていた。

「お前がおかあさんのお腹の中にいると知ったその日から、筆を握ることができなくなったんだ」

 それは余りにも唐突な告白だった。

 むろんそんな話は一度も耳にしたことがなかったし、恐らくは母も知らないだろうと旭は咄嗟に思った。

「どうして?」

「理由は分からない。その日、筆を持ったら手先が痺れてきたんだ。一つ貰えば、一つ失う。お前もよく憶えておくといい」

 それまで元基の口から処世訓のたぐいが飛び出したことなど一度もなかった。

 ――一つ貰えば、一つ失う。

 後にも先にもあのときのそれが唯一だろう。

 旭が物心ついた頃には元基が何かに怒ったり、何かに憤慨したり、何かに深く悲しんだりする姿を見たことがなかった。

 それは一家の大黒柱としての落ち着きや頼り甲斐にも見えたが、長じて旭が感じるようになったのは、自分の父親はどんなことに対しても大きな期待をしていないのではないか、ということだった。

 病気で書家としての順風満帆な将来を諦めざるを得なかった――その深い挫折がきっと彼を何事にも動じない、ある意味で無感動な人間に変えてしまったのだろうと旭は考えていた。

 だが、その原因を作った張本人が自分だったとは……。

 お前を貰った代わりに、俺は未来を失った――あの日、彼が言ったことは要するにそういうことだった。

 なぜ死ぬ直前になってあんなことを口走ったのか?

 こんなふうにいなくなるのだったら、最後まで黙っていて欲しかった――棺に横たわる元基に向かって旭は何度もそう訴えたのを憶えている。

 

5

 

「天功」を出たのは、午後八時過ぎだった。

 ビール一杯と紹興酒を二人で一本空けただけなので、旭はちょっと飲み足りなかった。ふだん独酌のときはその程度で充分なのだが、誰かと一緒だと多めに飲みたくなってしまう。

 旭の酒は営業時代に鍛えられたものだった。

「うちだって胃カメラや大腸内視鏡は別格として、他の光学機器や検査機器は他社と大差はない。値引き率も似たり寄ったりだ。客にすればどこのメーカーでも構わない。だとすると、どうやってうちの製品を買って貰う? とどのつまりは接待しかないってことだ」

 これが、長年上司だった比留間貞夫営業部長の口癖だった。

 事務要員として配属された短大卒の旭を営業の現場に出してくれたのは、この比留間部長で、

「兵庫は顔と声が営業向きなんだ」

 とよく言っていた。

「大した美人じゃないが、話すと魅力が出てくる。一度会ったときより二度目の方が美人に見える」

 そして、「兵庫のような“喋り美人”じゃないと、女の営業は危ない」とも彼はしきりに言っていたのだった。

 比留間は旭が会社を辞めた年に取締役に昇格し、現在は副社長を務めている。

「モトキ」に寄って赤ワインを一本持って帰ることにする。

「モトキ」は区役所通りを挟んで品川区役所本庁舎のほぼ真向かいにあり、旭の借りている平屋はそのすぐ裏手に建っている。店を出て左脇の路地を入れば家まで徒歩三分もかからない。それこそ急な雨で洗濯物を取り込みに行けるくらいの距離だった。

 店が入っているのは「二階堂新光ビル」という古い三階建てのビルで、一階には「モトキ」が、二階と三階には「サイトウ法務、登記総合事務所」という司法書士事務所が入っている。そこの斎藤先生や女性事務員の庄司さん、中村さんたちも「モトキ」の常連だった。

 一階の店舗スペースは九坪ほどと狭く、もとはカウンターだけの小料理屋だったが、女将が引退して店を閉じるというので、それならばと大家の二階堂さんが旭に話を持ってきてくれたのだった。

 居抜きで借りて、席数も同じ十席のままで七年前に「モトキ」を始めた。

 営業時間は午前十一時から午後八時まで。客たちは入口の券売機でチケットを買い、水もセルフサービスだ。アルコールもソフトドリンクも置いていない。

 メニューは、「モトキ特製ハンバーグ定食」(八五〇円)と「モトキ特製ナポリタン」(八百円)の二種類のみで、どちらにも味噌汁かたまねぎスープがつく。ハンバーグ定食のご飯の大盛りは無料だった。

 要するにランチ営業主体の店だが、区役所前という地の利もあって昼餉時には行列ができることもある。

 店舗と自宅あわせての賃料は、二階堂さんから示された交換条件を受け入れたことで破格の安さにして貰えたし、ランチタイムにバイトを一人雇っているだけだから人件費も嵩まない。コロナ以前は、平日営業のみでも一人口を養うくらいの儲けは十分に稼ぐことができたのだった。

 藤光と一緒に店に寄って、ワインを調達してから家に帰った。

 ワインは新潟の岩の原葡萄園が作っている国産ぶどう百パーセントの赤ワインだが、これが手頃な値段ながら非常に美味で、ここ数年、店を閉めたあとの一杯はもっぱらこのワインと決めていた。二日に一本は消費するので店の冷蔵庫にいつも何本かストックしてある。

 たまに閉店直前を見計らって訪ねて来る常連さんもいて、そういうときは一緒に飲むこともあった。そんな常連さんの筆頭はやはり上の階にいる斎藤先生や庄司さん、中村さんたちである。そもそも岩の原のワインを教えてくれたのは斎藤先生なのだ。

 ダイニングキッチンのテーブルに差し向かいで座って、藤光とワイングラスを傾ける。つまみはレーズンバターとクラッカー、それにこれも店に常備してあるローソンの「チェダーチーズとドライハムのオイル漬け」。

 思えば、こうして家で二人で晩酌するのは初めてだった。

 藤光は童顔でかわいい顔をしている。

 眉が濃く、目も大きいのでどちらかと言えば南方系の顔立ちだった。自殺した母親が九州の出だと聞いたことがあるから、きっとその血を引いているのだろう。旭より二歳年下なので今年で四十七歳。年齢よりずっと若く見える。

 鈴音の“商売っ気”も元基の“神の舌”も旭の方に流れたが、一方で母の美貌と父親のすらりとした体型をまるごと受け継いだのは妹の麗の方だった。

 目の大きさなど旭の倍はありそうな麗はいつも人気者で、思春期を過ぎてからは数々の男たちに言い寄られていた。

 そういうわけで、麗と藤光は美男美女のカップルだ。親がそうなので姪の日向も甥っ子の陽介も整った容姿をしている。

 旭の方は顔立ちも地味だし、身長も麗ほど高くはない。生まれついての体型はぼってりとしていて、現在のような痩身を維持するためにえんえん食事制限を続けている。五十歳間近のいまでさえ週の半分は炭水化物を控えるようにしているし、お菓子のたぐいも滅多に口にしなかった。

 高校二年生のときに受験予備校で知り合った氷室恵那という子がいて、彼女は都内有数の名門女子校に通い、顔もきれいで成績も抜群だった。案の定、東大に進んで弁護士となり、ときどきテレビにも出たりしている。

 旭の場合は、成績もそこそこで、それでも何とか四大に入りたくて予備校通いをしていたのだが、ひょんなことから恵那と言葉を交わすようになり、高二、高三の二年間、彼女とは友だち同士だった。

 その頃、恵那に言われたのは、

「あんたは、顔は十人並みなんだから、そこはもう諦めるしかないよ。それよりとにかくスタイルを磨きな。先ずは十キロ減量。そしたら今度はトレーニング。身体にメリハリをつけないと。あんたの取り柄は大きなバストだから、そのバストを最大限武器にして男を釣るのが一番のタクティクスだよ」

 この恵那のアドバイスは一理あると旭は感じた。

 麗は顔も身体もモデル並みだったが、胸は旭より貧弱で、「おねえちゃんのバスト、ちょっと分けて貰いたい」とよく言っていたからだ。

 受験した四大すべてに落ちた時点で恵那とは自然に連絡が途絶えたが、しかし、短大に進んだあとも旭はダイエットに励み、十キロの減量を果たした。短大ではダンスサークルで二年間みっちりとボディトレーニングを行なって、現在の体型を作り上げたのだ。

 一時間ほど飲んだところで藤光がトイレに立った。

 なかなか出てこないので心配していると浮かない顔で戻ってくる。

「ねえさん」

 向かいの席に座り直した途端に真剣な顔で旭を呼んだ。

「今日は、ねえさんに折り入って頼みたいことがあったんだ」

「頼み?」

 そんなことなら酒を飲む前に言えばいいのに、と心の内で思う。

「飲んだり食べたりしているときにこういう話をするのも申し訳ないんだけど……」

 藤光はそう言うと、自分のグラスに残っていたワインを一息で飲み干す。

「ねえさんのツテで大腸がんのいいお医者さんを紹介してくれないかな?」

 予想もしない言葉がその口から飛び出してきた。

「大腸がんのお医者さん?」

 一体誰が大腸がんだというのか――そう思いながら、旭は昨夜の二階堂さんの顔を脳裏によみがえらせていた。

「実は、ここ半月ばかりずっと下血が続いているんだ」

 藤光が意を決して、という面持ちで言う。

「下血? 誰が?」

 さきほど彼がずいぶんトイレに時間がかかっていたのを思い出す。

 藤光が黙って自分の方を指さしてみせた。

 昔の仕事柄、旭が医療の世界に精通しているのは藤光もよく知っている。父親が脳梗塞で倒れたときも相談を受けたし、陽介が軽い斜視だと分かった折も優秀な眼科医を紹介して欲しいと頼まれた。

「麗は知っているの?」

 最初にそこを確認した。

「いや」

 藤光が首を横に振る。

「どうして?」

「話したって、『さっさと病院に行きなよ』って言われるだけだから」

 そりゃそうだろう、と思いながら目線で先を促す。

「その上、また昔のことを蒸し返されるのがうんざりなんだ」

「昔のこと?」

 藤光が溜め息をついて頷く。

「札幌に転勤になった直後、麗の胸に小さなしこりが見つかったことがあったんだ。そのとき俺がちゃんと話を聞いてやらなくて、結局、自分一人で大学病院に行ったのを、あいつは凄く根に持ってるんだよね」

「へぇー」

 その話は初耳だった。麗からも聞いた憶えはない。

「俺も、あのときは申し訳なかったと思っている。札幌支社に移ったばかりで引き継ぎだとか得意先への新任の挨拶だとかでてんてこ舞いで、ろくに相談に乗ってやれなかったのは事実だし。でも、まだあいつも若かったし、ネットで調べたら乳腺炎か何かに違いないと思ったから、逆に俺まで深刻ぶらない方がいいと考えた側面もあったんだ。だから病院にも付き添わなかった。結果はすぐに出て、ただの脂肪腫だって分かったしね。なのにあいつはそれ以来、事あるごとにそのことで俺を責めるし、俺が何か身体の不調を訴えてもちっとも取り合ってくれないんだ。まさしく目には目を歯には歯をって感じで、執念深いったらないんだ」

 札幌時代ということはもう十年以上前だった。麗は三十代前半。乳がんを疑うにはまだ若過ぎる年回りではある。

「じゃあ、この十年のあいだ、自分の病気のことは麗には相談してないの?」

「まあね。熱が出ても、どっか痛くても勝手に病院に行って治してるよ。きっと麗の方も同じだと思う」

「何、それ」

 旭は呆れた声を出す。

「夫婦がお互いの病気のことを打ち明けなくなったら、もう夫婦でいる意味はないんじゃないの」

 そう言うと、藤光は困ったような顔になって、

「まあね。でも会社の連中に聞いたらどこも似たり寄ったりだしね。夫婦も二十年近くやっていると案外そんなものなんだと思うよ」

 と返してきたのである。


プロフィール

しらいし・かずふみ
1958年福岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。出版社勤務を経て、2000年に『一瞬の光』でデビュー。09年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で山本周五郎賞、10年『ほかならぬ人へ』で直木賞を受賞。その他の著書に『僕のなかの壊れていない部分』『草にすわる』『見えないドアと鶴の空』『もしも、私があなただったら』『どれくらいの愛情』『永遠のとなり』『幻影の星』『ファウンテンブルーの魔人たち』『我が産声を聞きに』『道』『松雪先生は空を飛んだ』など多数。

単行本
投身
白石一文

定価:1,925円(税込)発売日:2023年05月26日

プレゼント
  • 『俺たちの箱根駅伝 上』池井戸潤・著

    ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。

    応募期間 2024/4/30~2024/5/7
    賞品 『俺たちの箱根駅伝 上』池井戸潤・著 5名様

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