しかし、著者が改めてこれらの調査を本書『硫黄島 栗林中将の最期』として纏める気持ちになったのには、一つの切っ掛けがあったようだ。二〇〇六年に雑誌に発表された記事において、「栗林中将は米軍に投降しようとして部下に殺された」とされたことだ。栗林について長く調査をしてきた著者にとって、看過しがたい情報であった。記事の筆者である大野芳氏は、密かに入手した、防衛研究所の部外秘資料で、硫黄島作戦の関係者からの聞き取り資料の綴りである「硫黄島作戦について」によったとしている。これを知った著者は、防衛研究所で改めてこの資料の閲覧許可を得て、調査したところ、雑誌に発表された記事が、極めて根拠の薄い伝聞証言であり、同じ資料の中で、栗林の高級副官で、終始栗林と同行していた小元久米治は、はっきりと、否定している。著者は、この記録の調査からも多くの事実を発掘している。不思議なのは、大野氏は、同じ資料を読みながら、根拠の曖昧な伝聞のエキセントリックな記述のみを、あたかも隠されていた真実の発見のように発表し、同じ資料の中にある根拠の確かな直接当事者の証言を無視していることである。
本書を通読して思うのは、数百万の日本人の命を奪った、いや、世界数千万の命を奪った戦争が、いまや歴史のベールの彼方に消えかかろうとしているということである。陸海軍の指揮官クラスの生存者は既に無く、かすかに最若年の兵士の証言が、得られるに過ぎない。かつては、疑問があれば、いくらでも将官、左官クラスの直接当事者に質問する事ができた。今は辛うじて遺族に思い出を聞く事が出来るに過ぎない場合がほとんどである。しかし、だからと言って、このような作品が書けなくなるというわけでは無いことを、梯氏の作品は証明しているのだと思う。
戦争が遠くなればなるほど、戦争の悲惨さが薄れてゆけばゆくほど、一層戦争の悲惨さを明らかにしてゆく努力が必要になるのではないか。今後も、このような戦争の中での人間の記録を、絶えず掘り起こして行く事は、大切なことと思う。
今年は太平洋戦争が終結して七十年に当たる。七十年と言う年月は、小さなものではない。いまや、日本国民のほとんどが戦後生まれなのである。この、平和な時代に生まれ、戦争を知らずに老人になって行くということが、どれほど素晴らしく、幸せなことであるかと言う事を、私たちはもっと知らなければならないのだと思っている。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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