納得、マグダラのマリアの謎
聖書そのものについても、誤解していたことをいくつも気付かされた。これまでの疑問が氷解したところも多い。
バベルの塔はなぜ罰せられたのか? 私は、人間全体に対する神の怒りだと思っていたのだが、類似の塔は他にいくつもあった。なぜバビロンだけが罰せられたかに注意すべきだと、本書は指摘する。
「イサクの犠牲」や「ヤコブと天使の闘い」は、全くチンプンカンプンだったが、本書を読んでよく分かった。
新約聖書では、マグダラのマリアというのは、どうもよく分からない人物だと思っていた。この名が聖書にあまり出てこないからだ。本書を読んで納得。この名の女性が登場するのは、イエスの処刑と復活にかかわる部分を除くと、「七つの悪霊を追い出してもらった」という場面しかない。それ以外(「罪なき人は石を投げよ」の場面や、イエスの足に香油を塗り付ける場面など)は、後世の人々が勝手にマグダラのマリアと解釈しただけなのだそうだ。
イエスは神の子なので自ら昇天したが、聖母マリアは昇天させてもらったので、「被昇天」というのだそうだ。昇天と被昇天を区別するなんて、知らなかった。本当に、ずいぶんと教養が高まった。
本書の絵の選択にほとんど異議はないが、僭越にも私の思い入れを言わせていただければ、第1に、ユーディトはボッチチェリの「ユーディトの帰還」にしてほしかった。私は、物語を知る前にこの絵をウフィツィ美術館で見て強い印象を受けて以来、ユーディトと言えばこの絵の人なので。第2に、「キリストの洗礼」は、レオナルドの師であるヴェロッキオの作品に再登場して貰う手もある(この絵は『怖い絵2』で取り上げられている)。ヴァザーリ『ルネサンス画人伝』によれば、天使の一人は、まだ10代のレオナルドが描いたものだ(それを見て、ヴェロッキオは絵筆を捨てた)。これは、本物の天使が出現した奇跡の瞬間だと、私は思っている。第3に、「東方三博士の礼拝」は、レオナルドの未完作という選択もありえたろう。第4に、「カナの婚礼」を取り上げてほしかった。ドストエフスキイ『カラマーゾフの兄弟』の中に、「最初の奇跡がなぜブドウ酒か?」についての感動的な説明があるので。
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