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「他者に伝わる言葉」とはどういうものか

「他者に伝わる言葉」とはどういうものか

文:青山 ゆみこ (編集者・ライター)

『街場の文体論』 (内田樹 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

 内田先生の書かれたほとんどのものがそうであるように、初っ端からダイソン以上のすごい吸引力で一気に引きずり込まれ巻き込まれ、脳みそをぐるぐるとかき混ぜられたような知的興奮を存分に味わわされ。読後はジェットコースターから降りたように全身がぐったりとなっていた。書かれたものを読んでそんなふうに頭ではなく身体が反応したことは、私には初めての体験だった。そして、ひどく動揺した。

 無意味に邪悪なものがあるこの世で、私たちはどう生きればいいのか。そこに書かれていたことのすべてが正しく理解できたかどうかはわからないが、たったひとつ確信を持てることがあったのだ。それは、「ウチダ先生」が読み手である「私」に向けて、強い「危険への警告」を発信しているということだった。「いま私の話に耳を傾けるあなたに、私はこのことをどうやっても伝えねばならない」という切迫感がびりびりと伝わってきて、そのことだけは読み間違えようはなかった。

 村上春樹作品の考察を読んでいたはずなのに、いつの間にか鼠も「僕」もどうでもよくなっていて、私はいったいこの先どうしたらいいのだろうと困惑しきっていた。

 いまならわかる。考え続ければいい。「ウチダ先生」からのヒントはきちんと書かれていたのだから。しかし当時の私は、あろうことかご本人に泣きついた。

 といっても、まだ直接お会いする前で、先生からすると「今度連載が始まる編集部のひと(まだ存在も知らんけど)」であった私は、ご連絡先もわからない。と思いきや、その半年ほど前に出版された『ためらいの倫理学』に、大胆にも個人アドレスが記載されていたことに思い当たった。

 その日の夜更け、確か二十三時頃、その警告に対する疑問というか、泣き言というか、どうしたらいいのでしょうというメールを送ることにした。

 自宅にパソコンはなく、親指でちくちくと打ち込んだ文面を携帯電話から送信。そのことで気持ちが落ち着いてうつらうつらとしかけた矢先、枕元の携帯がぶううんと震えて、メールが着信した。差出人は内田樹とある。

 飛び起きて開封すると、小さなガラケーの画面はびっしりと文字で埋まっていて、しかしながらどうやら途切れている。当時のガラケーは三〇〇文字程度しかテキスト受信ができなかったからだ。

 翌日、改めてパソコンに再送していただいたメールを開くと、そんな深夜に届いた私の問いに対して、ほとんど原稿のような丁寧に言葉を重ねた文面が届いていた。約三〇〇〇字びっしりと。

 内田先生から私信をいただいたことを自慢したいのではない。だって、繰り返すが、先生にとって「私」は、まだ見も知らぬ他人に等しい誰かでしかなかったのだから。

 自分に対して「教えてくれ」と必死にすがってくる人間を、内田先生は見捨てない。真摯に向き合って答えようとする。それから長くお付き合いいただいているが(合気道の「師」ともなった)、変わらずそういうひとなのだ。

 それは、私が切迫して誰かに言葉を届けようとした最初の体験であり、本書では内田先生がエマニュエル・レヴィナスの本を読んだときのこととして書かれているが、私にとっての「届く言葉」の原風景でもある。

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文春文庫
街場の文体論
内田樹

定価:814円(税込)発売日:2016年03月10日

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