尾木ママにもあった反抗期
――杉山さんのお母様、芙沙子さんは、愛さんがテニスでいろいろ世界を回って注目されるようになってから、テニスに集中してもらうために、学校の勉強では一時間かかることを三十分でやらせようと、数IIIまで勉強したらしいです。
尾木 うちの母親もそうでしたね。「あれ、分かんないな」と僕がつぶやいているのを聞き付けると、テキストを見て「どれどれ、これは数IIIね。母ちゃんはここは習ってないわ」って言ったかと思うと参考書を勝手に持っていってずっと勉強しているんです。そのうち「あ、分かった。解けるよ」となる。だから僕、母親には勉強面では頭が上がらなくてコンプレックスで辛い時期もあったのよ。親を乗り越えられない。
杉山 私にとって母親は、小さい時からずっと尊敬以外の何物でもなくて。超えたいという対象ではありません。今でもずっと、大学院、医学部などで学び続ける母を見て、「この人は、すごすぎる」みたいな。自分とは違うなっていうのがちょっとどこかであるので、あんまり比べる対象じゃないんですよね。
尾木 そうそう。自分との違いが分かっていれば比べようとも思わない。「すごいな」とは思ってもね。僕の母は地元でも「やり手」と評判の、小学校の教員をやっていたこともある人で。よく短歌や格言を言い聞かされていました。今、締め切りを厳守する癖が身についているのも、こんなことがあったからです。
あれは小学校五年か六年の頃のこと。僕は「明日が休みだから、宿題は明日やるよ」と言ったんです。そうしたら、「直樹、こういう歌があるの」と言い出すんです。「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」と。僕は何も意味が分からず、なんじゃい、お念仏みたいな、と思っていたら、「今日きれいに咲いている桜を明日見ようと思っていると、夜中に嵐が来て散っちゃっているかも分からないんだよ。だから、今日やることは今日やっておくほうがいいと、有名な親鸞聖人がおっしゃっている」と聞かされて。なるほど、と思ってすぐ宿題を終わらせた。それからずっとです。
杉山 それがコトンと先生の胸に落ちたんですね。
尾木 そんなことで「うわー、そんな偉い人でもそうだったのか」と思ったら、「じゃあ僕もやらなきゃ」とすんなり納得してしまった。それが大学時代に、自分は親にコントロールされてるって思う日が来た。杉山さんと同じよ。二十代の前半で気付いて、結局上手に操られてきたなと、すごく苦しんだ。
僕は教師の道に進みましたが、学校で体罰を振るわれた経験もあって、教員というのは大嫌いだったの。先生と聞いただけでも嫌になるぐらい。いろんな苦労があったから。大学卒業する時に何になろうかなと思って悩んで、ボソッと「どうしようかな」と母に言ったら、「教員が一番向いてるよ」と返されて。「一番嫌いなのに?」と言う僕に、「あんたは教師からいっぱい嫌な思いをさせられてきたから、不登校とか不良の子とか、そういうドロップアウト気味の子の気持ちがよく分かるいい先生になれる」と母は言うの。「なるほど、理屈に合ってる」と思って、コロッとひっくり返っちゃって。そうしたらこの仕事に病みつきですね。面白いわ、教師。うちの母親はそういうところがあったの。
杉山 素晴らしいですね。苦しんだというのはどれくらいの期間だったんですか?
尾木 大学在学中の一年間ぐらいですかね。
――悩むきっかけはあったんですか?
尾木 大学生になって僕も下宿したわけです。早稲田の神社のすぐ裏側にある大きな下宿屋さんで二十五人ぐらいいました。そこの三畳一間に住んでいたんですけど、夜お酒飲みながらいろいろおしゃべりするでしょう。そうすると、みんな結構悪いことしてきてるわけ。女遊びだとか麻雀通いとか、朝からボウリングばっかりやっている子とかね。僕なんかそんなことやったことなかった。清く正しく美しい路線だけを歩まされてきたみたいな。それで、みんな「尾木は何もやってないな」とか言って、半分バカにされるわけですよ。僕は僕でそういうのをバカみたいだなと思いつつも、いろんな経験をしているのがうらやましかった。あまりにも経験不足ですよ。母親の囲いの中でうまく操作されたなというような思いがあったんです。それがすごく苦しかった。だから、母親から手紙が来たりしても「うるせえな」と思って無視してた。そういう時期がありましたね。
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