この『昭和二十年の「文藝春秋」』は、較べる年など他にあるはずもない年、変わりなくとどまるものはなにひとつない年、その年の忍耐と不安の月、そしてまた悲劇と屈辱の月に人びとが記した文章を集めた、まことに稀有(けう)な本である。
収録された文章のなかから、いくつかを取り上げよう。
新年を言祝(ことほ)ぐ文章などひとつとしてない新年号に、早稲田大学教授、今和次郎の「農村の火事」という文章が載せられている。秋田県の鳥海山の麓にある村の一部落、五十七戸のうちの二十一戸が失火から焼失した。昭和十九年五月のことだった。その三カ月あとに今和次郎は掛け小屋で生活する罹災者(りさいしゃ)たちを見て回り、この積雪地帯では、秋の収穫時までに屋根付きの納屋を建てねばならないのだがと懸念を綴り、「時局下の火事、特に農村の火事は実際深刻だ」と記した。
ところで、今和次郎がそれを書こうとしたとき、東京の市街地にたいする空襲がはじまっていた。おずおずとしたものであり、本格的な焼き打ちではなかったが、それでも被害は大きかった。たとえば、十一月二十九日午後十一時に第一波、翌三十日の午前四時に第二波、計二十数機のB29が来襲した。神田、日本橋、城東、そして芝、麻布に焼夷弾を投下した。二千戸以上が焼かれ、死者は四十人近く、罹災者は九千人を越した。
一カ月さき、二カ月さきには、百機から二百機のB29が六大都市を襲うことになろうと今和次郎と編集者が予測を語り合い、それをはっきり告げることはできなくても、べつの形の警告は必要だということになって、この「農村の火事」というぼんやりした題の文章が新年号に載せられたのであろう。
三月号には芥川賞受賞作、清水基吉(もとよし)の「雁立(かりたち)」が掲載されている。見渡すかぎり焼け野原といった光景はまだなかったが、強制疎開による中心街と駅周辺の殺伐とした空き地から巻き起こる土煙が町にひろがり、デパートや商店には飾るものとてなく、汚い電車に詰め込まれた薄汚れた衣服の人びとの顔は汚れ、着飾った美人などいるはずもなく、美しいものなど見ることも、触ることもできない世の中になっていた。
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