- 2016.11.08
- インタビュー・対談
現実の手触りと小説の嘘――横浜をめぐって 堂場瞬一×伊東潤【後編】
「別冊文藝春秋」編集部
『横浜1963』 (伊東潤 著)
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
前編より続く
小説にとって、リアリティとは何か――初の現代小説『横浜1963』を上梓した歴史作家と警察小説の第一人者が創作の原点を明かす
人生の折り返し地点を過ぎて自分の生きた時代を描こうと思った
伊東 『横浜1963』は六〇年代の横浜が舞台ですが、堂場さんの百冊目の著作となる『Killers』も一九六二年の渋谷から物語がスタートしていますよね。
堂場 五十歳を過ぎたころから、自分の生きてきた時代を振り返りつつ書いてみようという気持ちが芽生え始めたんです。五十を超えると、人生の折り返し地点を通過したなって感覚はないですか。
伊東 ありますね。もう老境ですよ(笑)。
堂場 この歳になると、自分の過去をちゃんと知りたいという気持ちが出てくるんでしょうね。『Killers』を書いたときは、五十年前の渋谷の様子なんて全然知らなかったけれど、新しい発見も多くて、自分が育った街でもないのに、なぜか渋谷への好奇心が湧きあがってきました。
伊東 自分の生まれた頃のことは特に気になりますよね。
堂場 もしかしたらそれがノスタルジーなのかもしれません。
伊東 僕は歴史小説を中心に書いてきましたが、徐々に現代に近づいてきました。一方、堂場さんは現代から過去にさかのぼっている。まったく別の分野の小説家が、自分の生まれた一九六〇年代でミートするのは興味深いですね。やはりお互いのルーツだからですかね。
堂場 未来は共有できないけど、ある程度年齢がいけば、過去は他人と共有することができますからね。
伊東 そこが歴史を小説にする上での強味の一つだと考えています。
堂場 ただ、五十年前くらいの近過去は、逆に書くのが難しい。当時のことを知っている人がまだ生きているから、こちらの解釈で書いても、まだそれと違った事実がでてくる可能性もあります。歴史資料や記録を読み込んで書くには、まだ新しすぎて微妙な時期ですよね。
伊東 仰せの通りですね。その点は気を遣いますが、全く史実に反していなければ、感じ方は人それぞれなので気になりません。小説はそもそも虚構なので、自分のカバーできる範囲で史実をフォローしていれば、それで十分かな、と気楽に考えています。
堂場 えっ、そうなんですか。
伊東 結局、史料に囚われたらきりがないんですよ。でも意地がありますから、こちらも調べられるだけ調べます。今のところ、大きな失策はありませんが、いつもビクビクしながら仕事をしています(笑)。
堂場 私にはとてもじゃないけどできそうにありません。昭和史のような近過去だと、映像も残っているのでわかりやすい。ほぼ文献だけで解釈する歴史作家の苦労は、想像を絶します。
-
『リーダーの言葉力』文藝春秋・編
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/12/17~2024/12/24 賞品 『リーダーの言葉力』文藝春秋・編 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。