――これまでの小説でも、短編連作の一本目を読んだときに、読者が想像する展開のレールには乗らないぞ、という雰囲気をひそかに感じることが多かったんですけど、そういう気持ちはありますか?
吉田 読者、というより、自分が予測したとおりの展開になってゆくのがつまらなくて、自分に対して裏をかきたい気持ちが湧いてくるのは確かです。裏道に入りたくなるんですね。たぶんまっすぐ行くのが正しい道で、その書き方や物語は何となく自分でもわかるんですけど、それはいいや、誰かほかの人が書いてる、と寄り道したい気持ちが起きてくるんですね(笑)。
――吉田さんの小説って、どんなふうに言葉を使って書くのか、ということにすごく自覚的で、小説そのものもかなりブッキッシュな感じがしますね。どんな方に影響を受けたのか興味があります。
吉田 よく宮沢賢治とかカルヴィーノがお好きなんですか、と言われるんですが、実はあまり熱心な読者ではないんです。好きなのは、向田邦子さん、武田百合子さん。それと、影響というと演劇のほうが大きいかもしれません。唐十郎さんや、野田秀樹さんです。いちばん影響を受けてるのはこのお二人。特に野田さんですね。
――八〇年代、野田さんをかなりご覧になった。
吉田 観てましたね。十代後半から二十代前半にかけて、欠かさず野田さんの芝居に通ってましたから、原点をたどると野田さんにたどり着くかもしれません。
ただ、野田さんにしても唐さんにしても、ものすごくおもしろいってことはわかるけど、かなり難解なところがあって、それを読み解くために、もう一度、本を読み出したんですよ。そのとき僕はデザインの学校に行ってましたし、演劇とか音楽とかにはまっていて、まったく本からは離れてました。しかし、唐さんの芝居を観たときに、これは相当、バックグラウンドに何かあるぞと感じて。神話とか、たとえば澁澤龍彦さんとか、そのあたりの本を読み始めたらおもしろくておもしろくて、そこからまた一挙に本の世界に戻されたんですね。
――小説へ戻ってきたのと同時に作品への影響もあった?
吉田 『空ばかり見ていた』もそうですし、同じころ書いていた『78』、この二つを書いて、僕は間違いなく野田さんの影響を受けているんだな、と実感しました。
野田さんの芝居には暗転がない。それが野田さんの芝居の大きな特徴なんですけど、暗転しないが故に、早替わりで役者の役が入れ替わっていくんです。
ある二人の人間の関係があるとしますね。現代の日本で二人が何か会話している。ところが、ちょっとしたスキに、この二人がサッと着替えて、いつのまにか中世の西洋人の格好になって、さっきの続きの話をしてるんです。舞台も中世に飛んでるし、時間も飛んでる。現代の日本と中世の西洋が、一瞬でつながってしまう。それが緻密に重なり合って、時間と空間があっちに飛んだりこっちに飛んだりしながらも、お話自体はまっすぐ前に進んでいるんです。
この『空ばかり見ていた』も、一人の人物があっちにいったりこっちにいったりするわけですが、野田さんの芝居では、それはもうごくあたり前で、全然不思議じゃないんです。この方法を小説に転用してみたかったんです。それもなるべくSFのような形式ではなく、ごく平然とやりたいと望んでいるんですけど、なかなかむつかしい。この方式はこれからもきっと探究し続けるし、それは野田さんのお芝居の影響というふうに言い切れると思います。
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