ふたりは昭和を代表する名優たちから古典の型と性根を受け継いだ。そして、これから次の世代にその財産を伝える時期に惜しまれつつ姿を消した。ふたりは還暦を迎えることなくこの世を去ったが、肉体をキャンバスとする歌舞伎役者の死が、どんな意味を持つのか。
舞台の記憶はいつまでも残る。DVDなどの映像記録も、彼らよりひとつ前の世代よりは整備されている。それにもかかわらず記憶や映像から洩れ落ちることどももある。非力ではあるけれども、文章の形でしか残せない舞台の匂いと人物の魅力について書きたかった。
歌舞伎役者のだれもが大事に思っている歌舞伎座の建て替え、新開場を待たずに勘三郎は逝った。完成なった平成25年の4月柿葺落公演の折、三津五郎に話を聞く機会があった。
この月、三津五郎は第一部の『お祭り』で鳶頭鶴吉を勤めていた。「十八世中村勘三郎に捧ぐ」と副題のついた一幕であった。勘三郎と多く一座してきた役者が勢揃いして、鳶頭、芸者、手古舞となって、賑やかに踊る。初日から勘三郎の孫の七緒八が、父勘九郎に手を引かれて出て話題となった。
「あくまで『捧ぐ』で『追善』ではないので、湿っぽくならないように、思いっきり明るく、賑やかに、華やかにという気持ちで出ています。ただ、毎日、七緒八君が自分の足で歩いて出てくる、あの光景を見ているとじんとくる。歌舞伎座に立たせてあげたかったというよりも、自分の孫が花道から出てくるのを見る幸せを、味わせてあげたかったな」
大向うから「豆中村」と声が掛かった。子から孫へ。絶えることなく次の世代が現れる。歌舞伎はその時代によって変貌しつつ、その精神はまっすぐに生きのびていく。
花道を歩くまだ幼い七緒八君の姿が今も目に焼き付いている。
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