前回までのあらすじ
一九八七年四月、東洋新聞の土井垣侑は特派員としてモスクワに降り立った。当時のソ連は改革、脱秘密主義の政策が採られ始めていたが、西側諸国のメディアへの警戒心は強く、記者は政府の管理の下でしか取材をすることができなかった。しかも本社からはソ連政府を刺激しないよう「特ダネ禁止」を言い渡される始末。そんな状況にフラストレーションを溜めた土井垣は、独自のネタを拾おうと精力的にモスクワの街に繰り出していた。が、そんな矢先、特派員仲間の笹田がハニートラップにかかり、国外退去処分を受けてしまう。いち記者にまで監視の目を光らせるソ連政府に、土井垣は言い知れない恐怖を覚える・・・・・・。
第2章 タタールの反乱
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土井垣侑がモスクワに赴任して一カ月が過ぎた。
〈ゴルバチョフ政権が進めるペレストロイカにより、国民は自由に発言できるようになった〉
日々発行されるソ連の新聞にはこうした文面が目につくようになり、モスクワに古くからいる日本人特派員たちも「ソ連はずいぶん風通しがよくなった」と口を揃える。
ゴルバチョフが、このままでは国が衰退する一方だと危機感を募らせ、改革に本腰を入れているのは確かだ。共産主義は一部の指導者のみに権力と富が集中し、国民たちは平等に貧困で厳しい労働を強いられている――そう思ってきた土井垣にとっても、この遷移の時期に特派員になれたのは幸運だった。だが時々、思い返すことがある。本当にソ連は変わっているのだろうか。
〈今年の穀物は大変な豊作が続いています〉
毎日夜の九時から放送されているテレビニュース「ブレーミヤ(時代)」では、女性アナウンサーが顔いっぱいに笑みを浮かべて原稿を読み上げていた。
しかし街ではどの商店も野菜は品切れ状態で、ジャガイモも小粒の出来の悪いものばかりが並んでいる。食糧だけでなく物資すべてが品薄なのだ。支局の隣の部屋で一人暮らしを始めた土井垣も物資不足は深刻で、トイレットペーパー一つ買うにも街中を探し回った。赴任した際、いざという時のためにマルボロを大量に買ってくるようにアドバイスされた理由がよく分かった。賄賂を要求する警官にしても、金を貰ったところで買うものがないのだ。
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