どうやらペレストロイカ政策はソ連国民を二分してしまったようだ。民主化を求める学生や知識人たちの改革への期待は大きい。一方で社会主義の下に生まれ育った中流以下の国民は、配給がなくなり、自立を促されることに恐怖すら感じている。彼らが求めるのは主義でも政策でもない。ただ日々の生活の糧がほしいだけなのだ。その声を政治家は聞こうとしない。
庶民が不満を持つ理由の一つが、「この国の経済力が上がらないのは国民が酒を飲み過ぎているからだ」とゴルバチョフが始めた反アルコールキャンペーンだ。
どの酒屋でも販売は午後三時以降、レストランでアルコール類を出すのは五時以降と時間が制限された。
土井垣ら外国特派員は国営バーで飲めるし、ドルショップで酒を買えたが、国民はそうはいかない。買い占めもあって、酒屋の棚はいつも空っぽ。朝からウオッカを飲んでいた国民たちは、早い時間から行列を作るが、それでも手に入らない。そのうちに密造酒を作る者まで出てきた。
小麦やライ麦といった原料が充分に手に入るわけではないため、密造酒も容易には作れない。店頭から砂糖が消えたかと思えば、今度は化粧品や靴クリームなどアルコールを原料とする製品がなくなった。ある日、新聞に「エチルアルコールを盗もうと学校の理科室に忍び込み、誤ってメチルアルコールを飲んだ男性が死亡」という記事が出ていた。日本でも昭和三十年代頃までは密造酒の製造販売で逮捕者が出ていたが、学校の化学薬品を盗んで飲もうとした馬鹿げた話は聞いたこともない。
日ソ間でも重大事件が起きた。五月下旬、東芝の子会社である「東芝機械」が、対共産圏輸出統制委員会(ココム)で禁止されている大型船舶用スクリューの表面加工機をソ連に不正輸出していたという情報を米国防総省が入手、連絡を受けた警視庁が同社の社員を逮捕したのだ。
発覚直後は東芝に非難が集中したが、捜査過程でソ連人女性の関与が浮上、KGBが女性工作員を使って日本の中小商社に接触し、虚偽の申請書を作らせていたことが判明した。
支局の黒電話には連日、東京本社のデスクから連絡があったが、ソ連国内ではまったく報道されておらず、外務省でのプレス会見で質問したところで、「日本の一方的な言いがかりだ」と広報官は認めない。
KGB本部は取材を受け付けず、海外メディアに対して沈黙を貫いている。報道陣はルビャンカ広場に建つ黄土色をした不気味なビルに近寄ることもできなかった。
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