「若き日の摂津守」
日頃からよだれをたらし、家臣の言いなりになっている愚鈍そうな若殿様が国元に帰還する。
しかし、側女として豪商の娘と偽って奥に上げられてしまった村娘が疑問に思う。
《――殿さまはばかをよそおっているのではないか》
この疑問が物語を引っ張っていくサスペンスとなる。
やがて、彼の馬鹿殿ぶりの、「よそおったものではない」が「暗愚でもない」という矛盾した内実が明らかになっていくのだ。
もしかしたら、それは意地を貫くというような生易しいものではなく、生きるための必死の方便であり、仮面が皮膚に貼りついて取れなくなるという悲劇でもあったのかもしれない。
だが、それをはぎとるような峻烈さで、若き摂津守は腹心の家臣に命じる。
《「民部、槍を持ってまいれ」》
このひとことから始まる結末も鮮やかである。
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かつて私は、「青春の救済」という文章の中で、山本周五郎の文業についてこう書いたことがある。
《開高健が山本周五郎全集の月報で述べているように「晩年の十年ほどに氏は圧倒的な大勝を得た」ことは確かである。しかしその事実は、同時に、作品の多くが文壇的な評価とは別に読者だけに支えられることで書きつづけなければならなかった、長い困難な年月が必要だったということをも意味している。山本周五郎は、必ずしも恵まれていたとはいえないその時代を、大衆文学でもなく純文学でもない「文学」の未知の頂に登るという野心を抱きつづけることで、自らを持してきたのだった》
その山本周五郎は、生涯、文学賞をはじめとする褒賞をすべて拒否しつづけた。
中には、『青べか物語』を連載した「文藝春秋」の「読者賞」という、他の賞とはいくらか意味合いの違う賞もあったが、やはり受けることを拒絶して、次のような一文を寄せた。
《これは頑固さからではなく、極めて謙遜な気持からの辞退であるということを認めていただけるよう、感謝とともにお願いを申上げます》(「読者賞を辞すの弁」)
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