2018.06.19 書評

女の、男への。母の、子への。妻の、夫への。様々な「情」が乱反射する周五郎の短編世界#2

文: 沢木耕太郎

『寒橋(さむさばし)』(山本周五郎 沢木耕太郎 編)

『寒橋(さむさばし)』(山本周五郎 沢木耕太郎 編)

「落ち梅記」

 金之助と半三郎とは幼少期からの親友である。いまは放蕩のかぎりをつくしている半三郎を、金之助はなんとか立ち直らせようと悪戦を続けている。

 金之助にはまた由利江という幼なじみがいて、やがていつかは結婚することになるだろうと思っている。

 ところが、由利江が半三郎の妹から、兄を救うと思って結婚してほしいと懇願されたところから、二人の運命が変わってしまう。由利江は、半三郎の妹の必死さに打たれ、自分が誰かの役に立つのならと、結婚することに同意してしまうのだ。そして、金之助もまた親友の半三郎を立ち直らせることができるのならと自分に言い聞かせ、由利江が離れていくことを受け入れてしまう。

 その金之助には、さらに困難が降りかかる。家老だった父の収賄の罪をかぶらなければならなくなるのだ。

 それがある種の冤罪だということを知った上で、藩政を立て直すために黙って罪を被ってくれるようにと、幼いころ共に過ごしたことのある主君から頼まれると、友情に殉じて許婚同然の女性への愛情を抑え込んだ金之助は、このときもまた忠義に殉じることで自分の立身出世の道を封殺する道を選んでしまう。

 その、愚直すぎる心根を持った金之助の、気高くも、ある意味で哀しい姿が静かに描かれていく。

 一夜、友情に殉じて別れた男と、使命感に衝き動かされて別れた女の二人が再会する。立場が大きく異なってしまったこの二人の再会は胸を締め付けられる。

《──梅が落ちた》

 女が去ったあとの描写に続くこの一行の中にある「梅」という字をじっと眺めていると、その木偏を立心偏に変えるだけで「悔」という字になることに気がつく。

 金之助は生涯にわたって後悔という「情」を抱くことがなかったのだろうか。物語が終わったところから、またもうひとつの物語が始まるような気がしないでもない。



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寒橋(さむさばし)山本周五郎 沢木耕太郎編

定価:本体870円+税発売日:2018年06月08日