山本周五郎もそうした援助を受けた作家のひとりだった。いや、他の誰よりも濃い付き合いだったかもしれない。
まだ自分の進むべき方向が見定められず、苦しい日々を送っていた青春時代の山本周五郎に、移り住んだ浦安で生起したことを綴った『青べか日記』がある。そこには、井口に関する実に多くの記述が残されている。
《昨日山本で貸出しを拒絶された。博文館へ少女小説を持って行った。井口は大変に親切にして呉れた》
《一昨日博文館を訪ねた。井口が親切を尽して呉れた。感謝している》
《七日の日に博文館を訪ねたが井口も横溝もいなかった。金がないので、本を四冊売って帰った》
《予の窮乏のどん底に於て井口の情ある通知があった。予はまた三十円足らずの金ではあるが井口の手で稼がせて貰える訳である。(中略)予は思わず涙を覚え、井口の手紙を犇と握った。井口も予の恩人の一人である。予の日記は大きく彼の名を書くだろう》
しかし、その井口がやがて作家に転身する。四十歳になったのを機に博文館を退社し、筆一本で生きることを決意するのだ。大家族を養うのに出版社の薄給ではやっていけなくなったということもあったらしいが、元来、井口にも作家になりたいという強い思いが存在していたからでもあった。そのときは、逆に、四歳年下の山本周五郎が、作家の心得のようなものを教授したという。
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