その山手樹一郎が山本周五郎と深い関わりのある人物だったというのは、ずいぶんあとで知った。三十代に入って、山本周五郎についての文章を書く際に、いくつかの伝記的事実を追うなかで知ることができたのだ。
戦前、山手樹一郎は井口長次という名の博文館の編集者だった。
二十七歳で入社した博文館で、「少女世界」という雑誌の編集長から「譚海」という読物雑誌の編集長になる。井口は、そこに若い無名の時代小説家を多く登場させたが、やがてその中から戦後の時代小説の世界で中心的な存在となる作家が生まれるようになる。村上元三、山岡荘八、そして山本周五郎。
編集長の井口は、彼らを育て、助けることに労力を惜しまなかった。読者に受け入れられるためにはどう書かなくてはならないか。一字一句、一行一行、丁寧に読み込んでは、何度も書き直しを命じたという。同時に、金のない作家たちには、原稿を受け取るとすぐに金を支払うようにしていたともいう。
上野一雄の『聞き書き山手樹一郎』には、編集者時代の山手樹一郎に関する、村上元三の次のような文章が引かれている。
《原稿を持って行くと、応接間に編集長の井口氏が出てきて、原稿を読み、ここをこう直せ、ここを削れ、とうるさく注文をつける。
その代わり、帰る時には、ちゃんと会計のところで原稿料を出していてくれるので、博文館へ行く時は、片道の電車賃だけでも安心であった》
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