山手樹一郎というペンネームを持つにいたった井口は、戦後、時代小説家として読者から圧倒的な人気を博するようになる。そして、昭和三十三年の文壇長者番付では堂々一位に張り出されるほどの収入を得るまでになる。
まさにその直後くらいから、少年の私は貸本屋で小説を借りて読むようになった。だから山手樹一郎が貸本屋の棚を最も多く占有していたのも当然のことだったのだ。
私もまたあの向日性に満ちた主人公が好きだったと思う。とりわけ、憂鬱になるようなちょっとしたことがあったあとなど、難しい展開の他の作家の小説ではなく、山手樹一郎の安心できる小説世界にひたりたいと思ったことがあるのをよく覚えている。
かつて、私は山手樹一郎について次のような短文を書いたことがある。
《以前、ある評論家が、柴田錬三郎や五味康祐の時代小説は読むが、さすがに山手樹一郎までは読む気が起こらない、何を読んでも同じだから、と書いていたのを見かけた記憶がある。確かに山手樹一郎の作品には、登場人物にもストーリーにも、明らかなひとつの型がある。芒洋としているが実は肝の座った若侍と悪漢に狙われた町娘か姫君、これに鉄火な姐御や小悪党風の町人、あるいは豪傑風の浪人がからみ、市井の長屋や東海道を舞台に物語は進展していく。(中略)しかし、山手樹一郎が飽きもせず提出しつづけてきたこの型には、単純だが練り上げられた力強さがある。だからこそ、読者もまた飽きもせず、その型の中に彼らの夢を見つづけることができたのだ。読者にとっては、その型こそが重要だった。同じだから読まないのではなく、同じだからこそ読みつづけてきたのだ。
山手樹一郎の作品は少年時代にほとんど読みつくしたが、そしてその単純で力強い型をやはり愛したが、いまの私には、その型そのものよりも、そのような型の作品を書きつづけるのだと意志した、作家の「断念の契機」こそが最も興味あることのように思える》(「最初の図書館 五人の時代小説家」)
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