説明に納得しかけた岳士は激しく頭を振る。
「いや、それはおかしいだろ。彩夏さんは俺たちがこの部屋に来る前から、隣に住んでいたんだぞ。やっぱり彩夏さんは錬金術師なんてわけがないんだ!」
論理の破綻を指摘された海斗は、『違うよ』と低く押し殺した声でつぶやく。
「違う?」
『そう、あのお姉さんは前から隣の部屋に住んでいたんじゃないよ。僕たちのあとにやって来たんだ』
「そんなわけ……」
岳士は記憶を探る。このマンションにやって来た日、壁越しに響いて来た嬌声が耳に蘇る。これまで、あの日のことを思い出すと、嫉妬で頭に血が上っていた。けれど、今日は顔から血の気が引いていく気がした。
『気づいたかい。最初にここに来た日、隣から聞こえてきたのはあのお姉さんの声じゃなかったんだよ。あの日、隣に住んでいたのは全然違う人だったんだ』
「そんな……じゃあ、誰が……?」
岳士は弱々しくつぶやく。
『最初の日に日焼けした若い男を見ただろ。きっとあいつが住んでいたのさ』
エレベーターを降りたとき、若い男とすれ違った光景がフラッシュバックした。
『この階で降りたときにすれ違ったということは、あの男はこの階のどこかの部屋に住んでいた可能性が高い。けれど、最初の日以来、あの男を見ていないよね。あんなに目立つ外見をしているのにさ』
左手の人差し指がぴょこんと立つ。
『つまり、最初の日、ようやく隠れ家を見つけて安堵したお前が爆睡している間に、あの男は引っ越していったんだよ』
「なんで急に引っ越したりしたんだよ?」
岳士は早口で訊ねる。答えは分かっていた。それでも訊ねずにはいられなかった。
『僕たちがここに住みついたことを知ったお姉さんに追い出されたからに決まっているだろ。まあ、追い出されたというよりは、たぶん喜んで自分から出て行ったんだろうね。きっとお姉さんは部屋から出て行くかわりに、大金を渡しただろうから。サファイヤで大儲けしているお姉さんにとっては、はした金さ』
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