でも、『王朝懶夢譚』なら古典はハードルが高いと敬遠してきた人も、最後まで楽しく一気に読み通せると思う。調度品も装束も、食べ物も田辺先生はまるで見てきたように、いきいきと描写する。私なら数十行を費やしても伝えきれないことを、サラリと数行で書いてしまう。それでいて、ひとつひとつの場面が色つきで浮かび上がってくる。カタカナ言葉や流行語を取り入れても、土台は揺るがない。王朝気分にあふれ、安っぽくならない。匂いの表現など、誰が真似できるだろうか。
「この香は荷葉だわ。お召物が丁字染めだから、沈香や白檀より丁字の成分がやや勝って、男らしい、ピリッとした香りになっているわ」
衣に焚き染めたお香の匂いが、行間から立ちのぼるようだ。
流行りなのだろうが、最近の若い世代の会話を耳にするたびに、語彙の少なさにがっかりする。せっかく何かに感動しても、「メチャメチャなんとか」とか「まじ、ヤバイ」のふたつですべてに対応してしまう。そんな借り物の言葉を使って、もったいないなぁと思う。もっと素敵な表現がいっぱいあるのに。
日本は言霊の国だ。漫画なら「サー」と擬音をつけて降らせる静かな雨を「蕭々(しょうしょう)と降る雨」といい、ザァザァと降る雨は「沛然と降る」という。字面もいいが、声に出すと響きも素晴らしい。古典を読むとあらためて日本語の美しさに気づく。表現の多様性と、ひとつの言葉に込められた意味の深さに心を打たれる。
『王朝懶夢譚』は王朝世界や平安文学の入門書としてぴったりだと思う。同時に隠れた歴史ロマンであり堂々たる古典ロマンだ。本書をきっかけにして、少しでも多くの人が古典に親しんでくれたらと願う。二十歳でも、四十歳でも、いくつからでもいい。果てしなく広がる古典の豊かな海へ、舟をこぎ出してほしい。
〈インタビューより構成〉