私は広島生まれの人間ですので、周りは当たり前にカープを応援する環境に育ちました。いっぽうで母が隣県の山口から嫁いできた人であったため、事あるごとに耳元で広島の陰口を囁かれ、身近なはずの広島県人の気質(気品に欠ける・物言いがキツい・熱し易く冷め易い・独善的で世間知らず・馴れ馴れしいのによそよそしい)や、その広島で胡座をかいている者、外のものを受け容れようとしない者に対して、冷ややかに距離を置くような子供になってしまいました。広島のアイデンティティそのものである広島東洋カープに対しても、みんなが一様に赤い帽子を被り、問答無用に騒げば騒ぐほど、あんなにもみあげの縮れたおじさんばかりの球団のどこにそんなに熱を入れられるのだろうと訝ってしまいました。70年代後半から80年代にかけての黄金期、素直にファンになっていればどんなに楽しかったことでしょう。ですが私には、当時のユニフォームの白地がヤニで燻されたように黄ばんでいるのが、たまらなく野暮ったく見え、爽やかな関東の球団や実力のパ・リーグに憧れながら、広島市民球場の三塁側席に座って反抗的に野球を観ていました。