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夜明けまでの夜

夜明けまでの夜

保坂和志

文學界12月号

出典 : #文學界

「文學界 12月号」(文藝春秋 編)

 富士駅の向こうの景色を見るとき私は山梨の従兄姉たちともうすぐ会うのだ、三島駅のロータリーで向こうの景色を見ると私はそのときの感情が胸に広がった、それに私は働きはじめたすぐの頃、つきあうというのでなく恋愛相談したり仕事の相談もしたりした二歳年上の先輩社員がいた、私は姉を持つのが小さいときからのあこがれだったからその人に姉に接するように接した、その人があるとき突然、三島市の小学校の教員になって辞めてしまった。

 私はその人に、親戚に行くのに富士駅で乗り換えたから三島は通過駅だった、今度三島に行ったら連絡するよと言ってそれっきりになった、いや近況報告を二回手紙に書いた、もっと書いたか、三島までの新幹線の中でその人のことを私はずうっと思い返していた、三島駅のロータリーから向こうの景色を見たときも私はその人のことを考えていた。三島の高校に通った伊豆の伊東にいる友達の娘もいた、その娘は、

「三島は富士山の湧き水の川がいくつも流れてて、水がすごくきれいなの。

 湧き水だから夏なんか冷たくて気持ちよくて、みんなで学校の帰りに川に入ってジャバジャバ遊んで、スカートまで濡らしちゃって、あたしたち靴はカバンに入れて、裸足で電車乗って帰ったの!

 毎日そんな感じだった、楽しかったー!」

 その娘が言ったそのとおり三嶋大社までの道はずうっと川の澄んだ流れと並行していた、川底の水藻まではっきり見えた、どの流れにも鴨がたいていは親子でいた、私は三島でその人と会ったらこんな風にして鴨を見ながら二人で歩いたんだろうという考えが離れなかった。

文學界 12月号

2019年12月号 / 11月7日発売
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