私はその感情とともに、三島の高校に通ったその娘の川遊びの話を川の澄んだ流れを見ながら思い出していた、私に川遊びの話を目をキラキラ輝かせてまるでたったいま川から出てきたばかりみたいに聞かせた娘も、そのときはもう高校の卒業式が終わってこれから栃木の那須の辺にある大学に通うその入学式に向かう通り道に、お母さんと二人で世田谷にいる私と妻を訪ねたのだった、それが五年以上前でその娘は去年からすでに働いている。
私たちとその娘の両親は近所同士で歩いて訪ねあえる距離にいたからあの頃は週に二回も三回も会っていた、食事をして、四人でUNOやモノポリーをやった、たまにどこかに出掛けた、どっちかが留守にするときはお互いの猫の世話を頼んだ、そうしていたときに生まれたのがその娘だ、私も妻もその娘には特別な思いがある、私が生まれてはじめて駅を降りて歩いた三島はそういう土地だった、駅から三嶋大社まで何層も重なる記憶や感情をめくっては重ね、めくっては重ねしながら、私は、
「過去は、在ることをやめたことがないのだから。」
というドゥルーズの文を、
「過去は、現在と並行して在りつづける。」
という文にすでに読み換えて歩いていた。
哲学の本はあるイメージに向かって手続きが順を追って積み重ねられる、それを書いた本人はその手続きによってイメージに辿り着いたのでなく先にイメージがあった、あるいは世界の閃きのようなものがあった、頭の上を大きな鳥が飛び過ぎていったその鳥の影が一瞬、私に影を落とした、私は一瞬その影の中に入った、そのようなものが本を書く前にあったのだとしたら、手続きをとばしてその影が私の頭上を掠めることだってありえる、その人がそれを書いた切実さと響き合う切実さが私にそのときあったなら私はそれを共有するか共有しないまでも共振するだろう。