やがて食後のコーヒーが運ばれてくると、彼が名刺を差し出してきた。英語で『カンボジア・デイリー』の発行人、バーナード・クリッシャーとあり、それを見た瞬間、私は思わず上ずったような声を発していた。
「失礼ですが、ひょっとして、『ニューズウィーク』で天皇との単独インタビューをした、あのクリッシャーさんですか」
そう言うと、彼はちょっと驚いたような表情を浮かべながら深く頷き、横にいる女性は長女のデビーだと紹介してくれた。向かい側の席の二人の若い女性記者がきょとんとしているので、私は弾んだ声で解説するように言った。
「この人は昔、絶対不可能とされた昭和天皇との単独インタビュー、それに成功した伝説のジャーナリストですよ」
だが、今日の会見のテーマと関係ないからか、あるいはそもそも興味がないのか、その二人は退屈そうに顔を見合わせているだけであった。
米国の大手週刊誌『ニューズウィーク』の特派員としてクリッシャーが来日したのは一九六二(昭和三七)年、高度経済成長の真っ只中だった。その後、東京支局長に就任して日本の政治・経済のニュースを世界に発信していくが、彼の名が一躍知られたのは七五(昭和五〇)年九月、昭和天皇とのインタビューに成功した時である。
ちょうどこの頃、天皇と皇后は初めての米国訪問を控えており、一問一答で天皇の歴史認識や人柄を紹介したのだが、戦前は現人神、戦後も日本の象徴として圧倒的な存在感を持つ天皇にインタビューできたのは極めて異例だ。誰もが不可能と諦めていたのを、政官界や宮内庁への粘り強い、周到な根回しで実現させたのがクリッシャーだった。
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