本来、通訳は仕事の中身は墓場まで持っていくのが筋で、特に外交での機微に触れるやり取りが表に出れば、国際政治に少なからぬ影響を及ぼしてしまう。だが昭和の時代、天皇が海外の要人と謁見する際の通訳だった真崎は、その内容を記した詳細な英文日記を残し、平成に移った直後から求めに応じて、それをテープに吹き込んだ。
クリッシャーの自宅に眠っていた、それらの録音テープをぜひ聞かせて欲しいと頼んだのだが、この時はまだ私も、それが従来の昭和天皇像を一変させる内容とは予想だにしていなかった。
バーナード・クリッシャーとの出会い
この仕事をしていると、たった一つの偶然の出会いが、歴史の真相を知るスクープのきっかけになるという体験がある。今から振り返ると、バーナード・クリッシャーとの邂逅も、それだったのかもしれない。
テープを受け取る二ヵ月前、私は有楽町の電気ビルにある外国人記者クラブ、日本外国特派員協会で開かれた昼食会に出席した。ここでは時折、話題の人物を招いて昼食を兼ねた記者会見を開き、この日のゲストはアジア開発銀行(ADB)の黒田東彦(はるひこ)総裁だった。国際金融界の大立者というだけあって、外資系の通信社や経済紙の記者の姿も目立った。
ゲスト正面のテーブルの空いた席で昼食を取っていると、左隣に座った年配の外国人男性と自然に目が合い、軽く会釈した。欧米人にしては小柄な体格で、年の頃は七〇代半ばか、黒縁眼鏡の奥の目つきが異様に鋭い。黙っていても体から迫力が滲み出るような男で、その横顔を眺めて、以前何かの写真で見たような気がしたが、咄嗟には思い出せなかった。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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