“二等国”アメリカがいち早く超高層ビルを実現させた
藤森 これがアメリカとなると話は変わってくる。彼の地では、建築家のバックには教会や企業がしっかりついているので、経済的に恵まれていた人が多いんですよ。
門井 それは面白いお話ですね。明治が始まったころの日本から見れば、アメリカは必ずしも世界の一等国ではなく、二等国くらいだったでしょう。一等国はイギリスやフランス。
藤森 たしかに文化的には後進国でした。しかし、二十世紀が始まる時点で超高層ビルがあったのはアメリカだけなんです。特にシカゴとニューヨークが中心となりました。そうしたとんでもないビルを次々建てられるくらいの経済力を持っていたということですね。建築だけで見ると、アメリカは二十世紀が始まった時点ですでに、ヨーロッパより勝っていたんじゃないか。
門井 政治史、軍事史のほうではアメリカは第一次世界大戦で台頭したことになっていますが、それより早いわけですね。建築というのは個人芸術の世界ではないので、誰かひとり突出した才能がいればできる、という話ではないわけですよね。
藤森 そうなんですよ。超高層は鉄でしかつくれませんから、それだけの鉄があり、かつエレベーターがちゃんとつくれるといったような技術が全部そろっていた、ということなんです。
門井 俳句の世界に芭蕉がいる、というのとは違う(笑)。全社会的な現象なんですね。すごく大きな宿題をいただいたような気がします。これは改めて調べてみたい問題ですね。思い出すのは、後藤新平の有名なエピソードです。アメリカに行った際に向こうで、東京駅を「あんまり横に長すぎるんじゃないか」と言われ、後藤新平は「お前さんのところに東京駅を縦にしたような建物があるか」と言い返した。逆に言えば、後藤がそんな負け惜しみを言わなければいけないくらい、それくらい当時のアメリカには超高層のビルが普通にあった。後藤はそれを知っていたわけですね。
藤森 もちろん後藤さんは実態を知った上で発言しているでしょう。ただ、時代がくだって私たちの段階まで来ると、少し違う感触も抱くんです。先ほど辰野から伊東の「建築進化論」に至る流れに触れましたが、そうした積み重ねがあって、戦後に丹下健三さんが出てきて、一気に世界とつながっていく。丹下さんが出た時点で、日本だとか、日本の建築界、といったものは実質的になくなっているんです。もう、世界共通になったんですよ。ですから今、建築界にいても閉塞感は感じないんです。日常的に世界と交流していますから。それはちょっと、他の領域とは違うところかもしれないですね。
門井 建築はもはや、どこかの国の文化というよりも、「人類の文化」になっているのですね。
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