長篇ばかり紹介したが、短篇集の『愛なんて噓』(二〇一四年)も忘れがたい。不可思議な三角関係を物語る「夜を想う人」、既婚同士の男と女が長い間ずっと二人だけの生活を夢見る「二人のプール」など六篇が収録されているが、ここには人間が本来抱いている放浪への欲求、彷徨がもたらす生の充実、孤独であるがゆえの静かな充足と幸福、絶望から出発する新たな生といったものをしっかりと、まことに力強く描いていて、ときに圧倒的だ。自分の心の奥底にある思いや欲望に忠実であれ、それこそが生きる原動力になることを、何とも優しいロマンティシズムを醸しだしつつ、大胆に打ち出す。言葉の力、文学の力をあらためて感得させる素晴らしい小説集である。
さて、枕が長くなってしまったが、本書『もしも、私があなただったら』である。上梓されたのは二〇〇六年であるから、いま紹介した作品のおよそ十年前になる。白石一文のデビューは二〇〇〇年の『一瞬の光』で、本書は数えると第八作になるけれど、さきほども書いたように、白石作品の特徴がいくつも見られる。
物語の舞台は、福岡市中央区。主人公はそこで五年前にバーをはじめた藤川啓吾だ。
六年前、藤川啓吾は勤務していた会社の粉飾決算に嫌気がさして、会社をやめ、妻とも離婚して、故郷の博多に戻ってきた。父が経営していた米穀屋をバーに改造したものの客は少なく、先の見通しがたたなかった。
そんな彼の前に、突然かつての同僚の妻の美奈があらわれ、「藤川さんの子供を産みたいんです」といいだす。美奈はずっと啓吾に好意を抱いていた。啓吾が博多に引き上げると知ったとき、「一緒に連れて行ってください」と嘆願したほどだが、啓吾はきっぱりと断った。しかし博多に帰ってからしばしば美奈を思い出して、彼女を見捨ててしまったことを後悔もしていた。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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