「貴族の世」の武士たち
「鳥羽院失せさせ給ひて後、日本国の乱逆と云ふことは発りて後、武者の世になりにける也」
(鳥羽上皇がお亡くなりになった後、日本国には「保元の乱」や「平治の乱」といった非常事態が起きて以来、武士の世になってしまったのだ。)
歴史書の『愚管抄』に右のように記したのは、平安時代の終わりに生まれて鎌倉時代の初めに比叡山延暦寺のトップである天台座主を務めた慈円である。彼は、僧侶として生きたとはいえ、もともとは藤原摂関家の御曹司であっただけに、貴族たちが権威を失い、武士たちが威勢を増していく世の中を見るにつけ、深い溜息をつかずにはいられなかったのだろう。
確かに、保元元年(一一五六)の所謂「保元の乱」や平治元年(一一五九)の所謂「平治の乱」を経て、朝廷の事実上の支配者となったのは、武家の棟梁として成り上がった平清盛であった。また、その清盛の一族を討ち滅ぼして、この日本を武士が統治するための新たな政府を打ち立てたのは、もう一人の武家の棟梁の源頼朝であった。この頼朝の鎌倉幕府の成立は、建久三年(一一九二)のこととも言われ、もう少し早い文治元年(一一八五)のこととも言われるが、そうした細かい点はともかく、慈円が嘆くように、鳥羽上皇が崩じた保元元年のあたりから武士たちの時代(「武者の世」)がはじまったことは、間違いあるまい。
ところで、この慈円の言い方からすると、鳥羽上皇が健在であった久寿年間(一一五四~一一五六)までは、つまり、平安時代後期の途中くらいまでは、武士たちの時代ではなく、貴族たちの時代であったことになろう。また、われわれ現代人の多くにとっても、「平安時代」と呼ばれる時代は、基本的に、「貴族の世」なのではないだろうか。
そして、その平安時代というのは、多くの現代人がイメージするところ、繊細な心を持つ男女が、桜の花や月の光に心を揺り動かされて和歌を詠み、顔も知らない異性に恋をして泣いたり笑ったりする、そんな世界であろう。それは、要するに、清少納言の『枕草子』や紫式部の『源氏物語』に描かれる世界に他ならない。
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