- 2020.11.10
- 書評
長雨、湿気、雑音、悪臭……不快感こその快感という櫛木世界に耽溺
文:村上 貴史 (ミステリ書評家)
『鵜頭川村事件』(櫛木 理宇)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
なんとも絶妙な主人公設定だ。妻は鵜頭川村の出身者であるが、岩森本人はそうではない。一時は妻とともに鵜頭川村で暮らし、そこから県庁所在地の職場まで車で通ったこともあるが、現在では村の外で暮らす“よそ者”だ。それ故に、彼は傍観者として冷静に村の人々を観察できるし、また、元村民としてのセンスで、全くのよそ者よりはずっと敏感に村の人々の空気を読むことができる。個と全体を語る人物として、まさに最適なのである。
この立ち位置から岩森が観察し、感じるのは、村内における対立構造の変化である。
約三百世帯の鵜頭川村において、矢萩の姓はおよそ一割を占める。矢萩一族は、昭和二十年代に農地を手放し、村長一族の会社の下請けとなる建設会社を興して成功し、この三十年間、村民たちの雇用主として支配的な立場を維持してきた。この基本的な村の構造が近年、揺らぎ始めていたのである。それを象徴するのが、矢萩一族が推進する道路拡張工事だった。着工はしたものの、村の全世帯の四割を占める降谷家の人々が反対に回り、その勢力は、次の選挙で再選を狙う村長も無視できないものとなっていた。また、昭和五十一年に田中角栄元首相が逮捕されたロッキード事件によって、村の人々の賄賂に対する意識が変化したことも、従来型の支配関係の維持を困難にしていた。つまり、村の勢力関係は、まさに変化の際にあったのである。そんな状況での長雨であり、土砂災害であった。矢萩家が推進していた道路拡張工事による木の伐採が土砂災害を加速させ、村の孤立を招いたことから、矢萩家の旗色はさらに悪化し、そしてそのまま矢萩も降谷もみな封じ込められてしまったのだ。爆ぜるのに十分なエネルギーを蓄えたまま、密閉容器のなかにガスを詰め込んだようなものである。
この容器のなかで、さらに新たに対立構造が生じた(表面化した)ことに岩森は気づく。若者と年長者の対立である。村が封じ込められる直前に発生したと思われる殺人事件の被害者が若者であったこと、犯人と思われる人物に関する年長者たちの甘過ぎる処遇などを引き金として、オレたちと非オレたちという対立構造が先鋭化していくのだ。それも熱狂的に。
こうした対立は連鎖し、次なる対立を生んでいく。男女の対立である。なにしろ昭和の時代の閉鎖的な村のことだ。男女平等などとは無縁の人間関係が生活の基盤にあった。それはそれで(現代の視点から見ると問題が多々ある歪なものではあれど)安定していたのだが、支配関係が揺らぎ、村が孤立してしまって日々の生活に揺らぎが生じると、現状/現実をどう受け止めるかで男女の差が顕著になってくる。一人また一人と、現実を重視した女性たちが、古い価値観に縛られたままの(縋ったままの)男性たちを尻目に、それまでとは異なる行動を開始するのだ。
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