『商う狼』永井紗耶子
阿久津 文化文政時代に商才を発揮し、飛脚問屋の養子から、江戸の三橋会所の頭取までになった杉本茂十郎を、商人仲間の堤弥三郎の視点から描いた作品です。杉本茂十郎を知らずに読み始めたんですが、作品世界に没入できました。主人公がより良い世の中を目指して努力して、途中までは上手くいくものの、だんだん世間とのギャップが生じてしまう、そのなんとも言えないやりきれなさがうまく書けていると思いました。
市川 そこまでしなくていいのではと思うほど、主人公が急進的に江戸の商業の体制を変えていこうとする、その動機付けの部分がちょっと弱いんじゃないかと感じました。一商人だった茂十郎が、有力者を紹介されて、それからとんとん拍子に商人の間で受け入れられ、力を増していきますが、彼のすごさのようなものが、私にはそこまで感じられなかったんですよ。
昼間 私は個人的に、江戸時代を扱った時代ものだと、商人の話が一番好きなんですね。そういった好みに加えて、日本人特有のお金と幸せの関係、当時の物流や問屋といった経済システムがしっかり描かれていて面白かったです。先ほどから話題に出ている、史実と想像力のバランスもいいと思いますし、派手ではないけど情景が浮かぶ描写も多くて、感動しました。
田口 私もこの本、メチャクチャ好きです。『横濱王』(小学館文庫)から始まる、永井さんの型がバシッとはまった感があります。人間の影の部分、欲や嫉妬も含めて上手く書かれていますよね。政治にかかわるところで、商人ができること、商人という枠を超えてやらなければいけないことをうまく物語の中に落とし込んでいると思いました。これまで永井さんは女性を主人公にした作品が多かったけれど、今作で飛躍したんじゃないかと。
内田 この杉本茂十郎という人は、実際にはどうも私腹を肥やしていた形跡もある人なんですね。そういう意味では、『じんかん』の松永久秀と同様、悪人としても描けるし、志を持ったまっとうな人間としても描くことができる。小説内では、私腹を肥やすことも含めて、あくまで世のためにやったんだよというスタンスで描かれているんですが、ともすれば面白みが乏しくなるかもしれないところを最後までグイグイと面白く読ませるところに凄みを感じました。また、夢破れて消えていく悲しさもよく出ていたと思います。この本を読んだ同僚も、「菱垣廻船のくだりは、私たちと同じ小売りの流通にがるし、今も昔も変わらない状況に驚かされた」と言っていました。書店員がシンパシーを抱きやすい作品なのかもしれません。
――今年も大変な接戦で、大いに候補作について語っていただきました。最終的に評価の順に投票していただき、それを点数化したところ、永井紗耶子さんの『商う狼 江戸商人杉本茂十郎』が僅差で一位となりました。二〇二〇年、第十回目となる本屋が選ぶ時代小説大賞は『商う狼』に決定しました。
一同 (大拍手)
内田 平均して皆さんの評価が高い作品でしたね。これをきっかけに多くの人に読んでもらいたいと思います。
昼間 候補作の中で一番マイナーな人物を取り上げてらしたので、受賞をきっかけにスポットライトが当たることを期待しています。
阿久津 この作品を今年推さないとまずかろうくらいに思って今日は臨みました。何回も読みたいと思える作品ですね。
田口 私は元々、永井さんのそんなにいい読者ではなかったんです。でも茂十郎がただ私腹を肥やすためだったり、権力を持ちたいだけという気持ちではなく行動するところが良かったですね。それが結果、茂十郎以降の江戸の仕組みの礎になっている。あとは、はしごを外されたときに、それをストレートに描くのではなく、鵺のエピソードを使って表現する上手さも感じました。永代橋が落ちるシーンも、これは天災なのか、人災なのかという部分で、現在の色んな状況に当てはめて読めます。
昼間 描かれている貧富の差や分断は、時代は違いますが、今年、世界中で叫ばれた重要なテーマだと思います。二〇二〇年を表現するのに最も適した歴史時代小説ではないでしょうか。
市川 小説を普段あまり読まない方でも楽しめる作品ですよね。エンターテインメント性がすごく強いので、書店員の立場としても、すごく売りやすいと感じています。ただ、市川賞があるのならば、『絵ことば又兵衛』に差し上げたかったです(笑)。
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