『太平洋食堂』柳広司
内田 大逆事件(明治四十三年)で死刑となった、和歌山県新宮に住む、医師で社会主義者の大石誠之助を描いた一冊ですね。偉人伝でもあり、教養小説のようなところもある。明治時代後期、社会主義者が弾圧されていく様をあえていまの世に問いたいという、柳さんの意思がビシビシ伝わってきて、感銘を受けました。物語としても後半に向けて、大石という人物に対して尊敬せざるを得ないと思わせる高揚感があります。
阿久津 先行作品として原登さんの『許されざる者』(集英社文庫)が同じく大石誠之助をモデルにした小説ですが、こちらが主人公がどんどん成長して変わっていく自分探し的な作品であるのに対し、『太平洋食堂』は太平洋食堂を舞台とした居場所探し的な色が強いように感じました。
市川 司馬太郎の影響なのか、明治政府や明治時代はどちらかというとポジティブなイメージが強いじゃないですか。そんな中、社会主義者が謂れもない罪で弾圧されるというのは新鮮なテーマで、現代にも通じると思いました。私は柳さんの文体が好きだし、主人公もすごく魅力的だと思った反面、ストーリーの起伏の面でちょっと物足りなく感じるところがありました。ページをめくりたくなるフックが少ないのと、この作品での大石は、人からの働きかけがあってようやく動くような、やや受け身の人物として描かれていて。
昼間 私もエンタメ的にちょっと地味だと感じましたね。とはいえ、内田さんがおっしゃっていたように教養書としてはすごくいい。さらに、週刊誌連載だったので、章立てを細かくしてあるなど、結構な分量ではあるけれどもテンポよく読める工夫がちゃんとあるのも好感を持ちました。
田口 柳さんは小説でできることってなんだろうって、この作品で追求したんじゃないでしょうか。起伏がないという話が出ましたけど、柳さんはあえて全部なくしたんだろうと想像しているんです。それは社会主義者と政府の対立を、社会主義者側から描きながら、どっちの側に立って大石を見てもいいように意図したんじゃないかと。歴史を振り返ったときに、その時に弾圧された側の正義もあれば、弾圧した側の正義もある。時代が変われば、また違う結末もあったかもしれない。そういったことを想像させられるという点を考えても、非常に現代に通じる小説だと思います。
内田 ミステリー作家の印象が強い柳さんが歴史ものをお書きになってるということに驚いている読者がいらっしゃるかもしれませんが、朝日新人文学賞を受賞した『贋作『坊っちゃん』殺人事件』(角川文庫)が、今作と同じ明治を舞台にした作品なので、元々素地はお持ちだったんでしょうね。
阿久津 柳さんはデビューする前、谷津矢車さんも優秀賞を受賞した、学研主催の歴史群像大賞でも佳作を獲得しているんですよ。
内田 前作の『風神雷神』(講談社)もしっかりした伝記小説だったので、歴史小説でも今後の活躍が楽しみです。
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