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ヴォーリズ建築に住みたい――門井慶喜が前代未聞の書斎を建てた理由

ヴォーリズ建築に住みたい――門井慶喜が前代未聞の書斎を建てた理由

門井 慶喜

別冊文藝春秋 電子版37号

出典 : #別冊文藝春秋

 それが特に顕著なのは、公共建築の分野だろうか。昭和十一年(一九三六)完成の国会議事堂などはその最大のもののように私の目には見えるけれども、どうだろう。結局、私が口を出したのは、お金の問題が生じるときだけだったと思う。こればかりは仕方がない。もちろんこれは、一面では青井さんへの全面的な信頼のあらわれであるし、もう一面では、亡きW・M・ヴォーリズへのそれである。

 何度も打ち合わせを重ねるうち、間取りも定着した。二階建ての家のうち一階は書庫。すべて書庫である。本棚はつくりつけとして、地震が来ても倒れないようにする。

 二階は半分を書庫にして、もう半分は書斎にする。書斎というのは机を置いた執筆用の空間で、そこで私は大半の時間をすごすことになる。いわばこの家の心臓部だ。書庫と書斎のあいだには壁を設けない。レファレンスブックを出したり戻したりで一日に何度も往復するからだ。

 もっとも、この二階には、最小限の生活の機能も持たせなければならない。そこで実際はそれぞれ半分よりも狭くして、空間をつくり、そこにトイレ、ミニキッチン、および仮眠室をつめこむ。ミニキッチンはコーヒーが淹れられる程度でじゅうぶんだ。

 逆にいえばこの家には、ほかの生活の機能はなくなった。本格的なキッチンがないのはもちろん、リビングなし、ダイニングなし、お風呂なし。

 ついでに言うとトイレも一階にはつけなかった。一人用の一軒家には、そんなもの二つはいらないのである。お風呂がないのは不潔なようだが、歩いて三分のところには自宅がある。そこで入ればいいわけだ。なお自宅もやはり一軒家だが、こちらはもう十年以上も前に建てたもので、妻および三人の息子とともに住んでいる。近代建築ふうの建物ではないけれども、リビングもあるしダイニングもあるし、子供部屋も三つある。

 ともあれこうして間取りが決まったら詳細な実施設計をおこない、地鎮祭をすませると、いよいよ着工ということになる。

 昨年(二〇二〇年)の手帳を見てみたら、地鎮祭をやったのが八月十七日、引き渡しが十二月三十日。工期はだいたい四か月半だった。私もやっぱり気になるから執筆のあいまに毎日のように様子を見に行ったけれども、現場では、ときどき青井さんと鉢合わせする。青井さんも設計どおりに施工がきちんと進んでいるか見に来ているらしい。職人さんにこまかな指示を出すこともあるようだ。

 見ているうちに、私はおもしろいことに気がついた。私もたまに地方へ講演に行ったりすれば「先生」と呼ばれることがあるのだが、この現場では、

「先生」

 という誰かの声がして、

「はい」

 と私がつい振り向くと、その人は私には気づきもせず、何か熱心に青井さんへ話しかけている。

 ここでは先生といえば建築家なのだ。私はしばしば「お施主さん」と呼ばれた。なるほど、そういう習慣なのか。そんな呼ばれかたをするのは父の十七回忌のとき以来かもしれないなと思ったことだった。四か月半はあっというまに過ぎてしまって、年があらたまってから引っ越しをして、少しずつ本の整理などしつつ、いま私は、その二階の書斎でこの原稿を書いている。

 屋外では少し強い風が吹いているが、風音は入って来ないから防音性は上々だ。地盤はしっかり強化したし、耐震性、防火性、断熱性も最新だし、机の下の床暖房はぽかぽか足をあたためてくれている。デザイン的にも、機能的にも、私はこの家のできばえにきわめて満足しているのだ。

 ただ正直なところ、まわりの空間がひろすぎる。何だか旅館の大広間でひとりで晩めしを食っているように心がおちつかない。これはもちろん、以前は2LDKの賃貸の部屋で書いていたので、まだ頭が追いついていないのだ。

 体が、かもしれない。どちらにしても、じき慣れるだろう。ここが日本近代建築史の最前線なのか、それとも文明の頽敗の最前線なのかはわからないけれど、少なくともこうしていると、この家が後世にどう評価されるか、その基準はひとつ明確になったような気がする。

 その基準とは、結局のところ私ではないか。これから私が書くもので決まる。

 それによって文豪の家にもなり得るし、三文文士の道楽小屋にもなってしまう。家の価値はお施主さんしだい。当然といえば当然の、恐ろしいといえば恐ろしい話。青井さん、およびW・M・ヴォーリズの名誉のためにも励まなければ……なお本稿はこれまで、机にふれる余裕がなかった。机はカリン材の特注品である。資料がたくさん置けるよう可能なかぎり大きくした上、あえて天板を稲妻形にした。二か所のくぼみのそれぞれで執筆と、事務的作業(メール書き等)とができるようにしたのである。

 文業枢要の台であるだけに、この要望だけは我ながら執拗かつ具体的だったと、こんどお目にかかったら藤森氏には報告しようか。机のデザインは建築家の仕事じゃないよと、また苦笑いされるかもしれないが。


写真:深野未季


かどい・よしのぶ 一九七一年、群馬県生まれ。二〇〇三年「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。一六年『マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、一八年『銀河鉄道の父』で直木賞受賞。

 万城目学氏と近代建築を訪ね歩くルポ『ぼくらの近代建築デラックス!』を皮切りに、建築や街づくりへの関心は高まる一方で、それが小説『家康、江戸を建てる』『屋根をかける人』『東京、はじまる』『銀閣の人』にもつながった。他、『定価のない本』『自由は死せず』『ゆけ、おりょう』など小説から、エッセイ集『にっぽんの履歴書』、新書『徳川家康の江戸プロジェクト』、アートブック『日本の夢の洋館』(写真・枦木功)、本郷和人氏との対談『日本史を変えた八人の将軍』まで幅広く活躍中。

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