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作家の羽休み――「第32回:苔テラリウムのムカデ」

作家の羽休み――「第32回:苔テラリウムのムカデ」

阿部 智里


ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 冬のある日、一つのテラリウムの中に、小さな虫が住んでいることに気付きました。

 私はそれを見た時、ちっちゃなヤスデだと思いました。調べてみれば、特に害はないどころか、植物にとっては益虫であるとのこと。確かに虫は苦手ですが、容器は一応密閉されているし、益虫と名のついているものを無理やり追い出す道理もありません。私はヤスデちゃんを同居人と認め、ゆるやかな共同生活を営むことになったのです。

 ヤスデちゃんは、よく白っぽい水晶の上を這っていました。

 愛、屋烏に及ぶとでも言いましょうか。疲れた時、ふと美しい緑の苔の中をよじよじしているその子を見ると、なんとなく愛着が湧いて、いつしかそのヤスデすら可愛く思えてきたのです。

 虫嫌いを克服させるなんて、苔テラリウムってすごい。本当に心を癒すんだね!

 私は満足しつつ、だんだんとヤスデちゃんが心配になってきました。もう半年近く元気な姿を見ていますが、小さなテラリウム内のこと、餌がどれだけ続くか分かりません。

 ヤスデちゃんのためにも、むしろ外に逃がしてあげたほうがいいのではないか。そんなことまで考え始め、久しぶりにヤスデの生態について書かれたHPを開いたのです。

 そして、アップでヤスデが映った写真を見て、気付きました。

 おい待て、なんか――姿、違くない?

 そして、もう一度画像検索をしかけて、気付きました。

「注意! ヤスデとムカデの見分け方」というページがあることに。

阿部さんによるイラスト(1)

 はい。そうです。賢明な読者の皆様はもうお分かりでしょう。

 私がヤスデだと信じ、愛しく思っていたのは、ムカデだったのです。

 

 ヤスデに毒はありませんが、ムカデには毒があります。

 刺されれば痛いです。益虫ではありません。ガーデニングの観点からは、害虫に分類されるものです。

 私はショックを受けました。が、今更退治など出来るはずもありません。

 「いやでもヤスデよりもムカデのほうが可愛いよね。愛嬌があるっていうかさ……」

 言い訳がましくそんなことを呟きながら、しかしまあ、容器の中にいる限り人間を襲うこともないので、もうこのままでよかろ、と放置を決め込みました。

 1匹だけなら繁殖することもありません。テラリウムの中にはごくごく小さな虫も発生しているようだし、苔ちゃんの状態は安定しているし、掃除人として、小さな生態系の中で働いてもらうのもいいかもしれない、と。 

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