生島 そう考えると、鬼平は正しすぎるんですかね。だから周りが頼りない。でも、それが物語を動かすいい隙になっているというか。
真山 正しすぎるから、罪を犯す側のことが魅力的に見えるんでしょう。鬼平ほどブレない人は珍しい。普通、やむにやまれず罪を犯す連中が出てくると、主人公は情にほだされてフラフラするものです。でも、そこに寄っていくと作品としてはただの人情物で終わってしまう。
おそらく池波さんは、ブレることのない圧倒的な強さの象徴として鬼平を作り、社会における正義のひとつの在り方を提示されていたんじゃないかな。
「グレーゾーン」が必要
生島 池波さんの価値観をあらわす言葉として、鬼平も、小兵衛も、梅安も「人は良いこともすれば、悪いこともする」と呟きます。おふたりはこの言葉をどう捉えますか。
今村 三大シリーズを執筆されていたのは一九七〇年代ですよね。池波さんは高度成長期を終えた日本に「グレーゾーン」が必要だということを感じておられたんだと思います。世の人々にとって善に見えることも、必ず悪を含んでいる。その逆もまた真なり。社会は中間色で構成されているという池波さんの考えは奥深いと思う。そこから時代が下って、昭和の末期には「灰色の部分がなさすぎるんですよ」ともお書きになっていた。
真山 私が池波作品を好きな最大の理由は、その言葉に凝縮されていますね。私はもともと、この世には「善も悪もない」と思っているんです。立場が変われば、善悪は逆になるものですから。面白いもので、金融界で悪いことをしている人って本気で「俺は良いことをしてる」と言うんですよ。悪いことの中に自分の正義がある。最終的には勝って、善になりますからね(笑)。
生島 そのないまぜの世界を、池波さんはエンターテインメントに仕立てた。主人公たちは正義の中で揺れますね。たとえば『梅安』の三巻に「殺気」という作品があるんですが、梅安は若い頃、女が捨子をするところを目撃してしまう。そして、その女と偶然、十五年後に再会するんですね。許しがたい女だ、と、梅安は殺意を覚えるんですが、その葛藤が不思議な緊迫感を生んでいます。原稿用紙五十枚ほどで、いつもの作品よりも短いけれども、梅安の葛藤を描くことで、「殺気」は、正義とは何かを問いかける秀作になっています。
今村 “仕掛人”はそうした葛藤に直面しやすいためか、『鬼平』『剣客』と比べて『梅安』の作品数は少ないです。
生島 池波さん、『梅安』だけは毎月連載できない理由として「仕掛けには時間がかかるんだ」とエッセイに書いています。まさに仕掛人みたいな台詞(笑)。
真山 テレビの「必殺」シリーズが大ヒットし、どんどん作品が作られたことも複雑な思いだったんじゃないでしょうか。ドラマだと、だいたい四十三分頃から小判が撒かれて、四十八分には殺しにいくというパターンが定番化します。池波さんからすれば、「そうじゃない。殺す側も人間なんだから、もっと屈託があるんだ」と感じていたと思いますよ。
生島 三月までTBSテレビ系列で放映されていた綾瀬はるかと高橋一生主演のドラマ『天国と地獄』では、私刑の在り方がプロットのひとつになっていました。ちょうど『梅安』を再読していたこともあり「なんだこれ、池波正太郎じゃん」と思ってしまって。そんなことを思うのは私だけかもしれませんが(笑)。
いま政治家、公務員の倫理観、正義感が揺らいでいる中で、池波さんの提示していた価値観は、現代にも十分通用すると思いました。
今村 それこそ漫画の『闇金ウシジマくん』(真鍋昌平著)も、お金をもらって私刑を行う話でしょ。裏の世界を読みたい欲求は現代にもあるし、正義が実現されていないと思ってる人も増えていると思う。池波先生のテーマが別の表現形態として残っているんだと思います。
真山 池波さんの正義の判断基準って決して説明されないけれど、普遍性があると思う。それは小説の細部にも表れていて、たとえば『剣客商売』で小兵衛は多くの人を斬りますが、なぜこの人は殺されるのに、あの人は峰打ちで済んでいるのか、そのあたりは細かく説明されませんね。それでも小兵衛の生き方に説得力を感じてしまうのは、池波さんの中にある判断基準に普遍性があるから、納得してしまうんだと思います。
生島 いざ「殺す」と決めたら、徹底してやりますよね。そこに迷いはない。
真山 私にとって池波作品の好きなところは、振り切れている潔さです。正義も、悪も、残酷なところも、とにかく徹底して描かれています。
池波作品のリーダー像
生島 ドラマで演じた吉右衛門の影響も大きいと思うんですが、最近では、鬼平が理想のリーダーとして語られることが多い。それは彼の判断基準が明快だからかなとも思うのですが。
今村 池波先生は、『真田太平記』やエッセイの中で、「誰が上司かによって死ねるかどうかの覚悟が決まる」とお書きになっています。これは池波先生のリーダー像を反映していると思う。
生島 そういう感覚を持ったのには、池波さん自身の従軍体験が大きいようですね。