真山 ほんの一行で、その日の天気から気温、風のにおいまでさっと伝える。「大川の空に、赤い月が浮いている」という表現からは、なにか禍々(まがまが)しいことが起きる予感を抱かせます。
今村 いけないことが起きそうですもんね、赤い月の夜には。
真山 このあたりの表現には、ルーツである新国劇の香りを感じます。幕が開いて照明がつくと、赤い月が浮かんでいる。いきなりクライマックスの見せ場から入る手法が、小説に生きています。
今村 池波先生がよく使う、お好きな言葉ってありますよね。「むせかえる青葉」も多いし、「咳」と書いて「せき」と読ませるところと、「しわぶき」と読ませるところを区別している。分けるポイントは何かなと考えていたんですが、田沼意次の咳には「しわぶき」とルビがふられることが多くて、たぶん年齢によって読ませ方を変えてるんだろうと。
真山 ルビが味わいになってる。
今村 あと、腰の間と書いて「腰間(ようかん)」という表現も、めっちゃ使われますね。「長谷川平蔵の腰間から……」なんて出てくると、いいなあと思い、自分の小説でも使わせてもらってます(笑)。
生島 そこまで影響を受けているとは! 今後、今村作品の読み方が変わりそうです(笑)。
今村 僕は池波先生の本を中学二年生くらいで全部読破して、読むものがなくなってしまったんです。そうなると、エッセイ集に手を伸ばすしかなくて、しだいに池波先生の生き方まで真似したくなってきたんですよ。高校の卒業旅行の時なんて、ポチ袋に千円札を入れて旅館の仲居さんに渡したくらい、メチャクチャ生意気な高校生でした。
真山 ずいぶん背伸びしましたね(笑)。
今村 池波先生が「帰り際ではなく、先に渡す」と書いていたので、旅館の部屋に入った時に渡したんです。すると、仲居さんが「ご両親が立派な教育をされてるんですね」と。「いえ、池波先生の教育です」と答えた記憶がある(笑)。
生島 高校生にしては振り切れてますけど(笑)、でも、今村さんの気持ちも少し分かる。お店でお客が「お愛想お願いします」なんて言っているのを聞くと、「野暮だな」と思ってしまうのは、間違いなく池波さんのエッセイから学んだことです。
今村 お寿司屋さんでは「ガリ」と言わずに、丁寧に「しょうが」と呼びたいし、タクシーではお札で払ってお釣りをもらわない。こうした粋を学びましたけど、今はタクシーも電子決済だから、そうしたやり取りの機微、余韻みたいなものがなくなっていくのかなと思います。
生島 アメリカだとチップにその文化が残ってますけど、もうチップも電子決済で出来ちゃうしね(笑)。
今村 池波先生が大切にしていた「融通」とか「塩梅(あんばい)」といわれる言葉の実態が消えていってますよね。でも、僕はどこまでも池波流でいたいと思いますし、ようやく大人になりましたから、そろそろ軍鶏(しゃも)鍋を食べに行ってもいいんじゃないかと思っているところです(笑)。
風景描写のマジック
真山 池波作品の登場人物は、豆腐やねぎでササッと美味(おい)しいものをこしらえるでしょう。あれも、料亭で出される高価な料理だけでなく、身のまわりに美味しい食事はたくさんあるという池波さんの美学だと思います。
生島 読むと、小説の舞台をなぞりたくなる欲求も出てきます。今村さんの軍鶏鍋じゃないけど、なにか世界観に浸りたくなって。
真山 以前、秋山小兵衛が住んでいた隅田川そばの鐘ヶ淵を見に行きました。何がショックかって、何もないこと(笑)。もともとカネボウの工場があったところで、河川敷はきれいに整備されてしまってるし、高速道路が走っている。浅草に出てようやく「江戸の名残りがある」と思いましたけど、そういう現実を見てしまうと、池波さんの文章はまるでマジックですよ。
生島 池波さんの世代だと、幼少期の記憶が投影されてはいるんでしょうけれど、ひとつの幻影都市を作品の中に作っていますよね。
真山 たった数行の描写から、風景や匂いが醸し出されます。私はついつい書きすぎてしまうことが多いので、削り方を勉強させてもらっています。二行、三行で世界を作っていくのは、職人の技ですね。
生島 僕も『真田太平記』を読んで、改めて大阪城を訪ねてみたら、見え方が変わりました。片桐且元の屋敷跡とか、淀君と豊臣秀頼が自決した山里丸を見るとやっぱり感じるものがありましたし、なんといっても真田丸が天守閣からずいぶんと遠い。どれだけ大坂城はデカかったのかと、たまげました。
真山 当時の大坂はほとんどが城域ですからね。
今村 僕も子供の頃、関ヶ原の戦いの後で昌幸と幸村親子が幽閉されていた紀州の九度山を見に行きました。両親に「九度山に行きたい」と言ったら、「なんで?」という顔されましたけど(笑)。
鐘ヶ淵と同じで、九度山にはなんにもない。でも、歩いてみると、山中は一本道ではなく、意外に抜け道があるんです。幸村はここを抜け出して大坂の陣に参戦するんですけど、「これなら、こっそり山を越えて人に会うのもありやな」と思い、自分の作品に使っています。
-
『李王家の縁談』林真理子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/12/4~2024/12/11 賞品 『李王家の縁談』林真理子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。