池波作品、どれから読むか
生島 とにかく数多の作品があるので、未読の方はどれから読んだらいいか迷ってしまいますよね。
今村 こんなこと言ったら池波先生に失礼なのは重々承知してるんですが、池波作品は昔に読んだものでも、いい感じで忘れるんです。だから、再読するたびに新しい発見がある。そういう意味では、どの作品から読んでもいいのかな。
生島 あ、それ分かります。
真山 忘れるのは人間の特権です。年齢を重ねると、再読していることに途中まで気づかないことがよくある。それに二十代と五十代では着眼点も違うので、何度読んでも得られるものがあります。
生島 今村さんのように小学五年生で読むのはかなり早熟だと思いますけど(笑)、五十代の方がいま読み始めるにはどんぴしゃの作家じゃないでしょうか。
ただし、女性に対する描写については、現代の感覚で受け入れられない部分があるかもしれない。『梅安』の第一巻を再読して、女性の扱いにちょっと引っかかりを覚えました。それで脱落してしまう人がいるかもしれなくて、そこはなんとか踏み留まって欲しいと思います。
真山 第一巻にはそういうところもあるけど、『梅安』はシリーズの終盤になると印象が変わってくると思います。梅安が大切に思う女性から離れようとするくだりなど、「あれ、いつからこんないい人になったんだろう?」と思うほどで、これは池波さんご自身の年齢を反映しているんだと思いますね。
今村 老い、ですか。
真山 秋山小兵衛も最初は女性にもてるし剣の腕も立つスーパーマンですが、次第に達観し、いろんなことを諦(あきら)め、普通の老人に近づいていく。まあ、小兵衛の普通は、普通じゃないんだけど(笑)。
生島 『剣客商売』の九巻に収められた「或る日の小兵衛」は、小兵衛が初体験した相手の女性が庭先にボーッと立っているのが見えた、という作品です。私はこのあたりから小兵衛が老境に差し掛かったのかなと感じました。
真山 『剣客商売』の連載を始めた当初、池波さんは親子の関係を書きたかったのだと思います。だけど、シリーズの最後の方になると息子の大治郎のことよりも、小兵衛の老いが中心になってくる。その契機は、大治郎と田沼意次の娘である三冬が結婚するところだと思うんですが、私が思うに、どうも池波さんは小兵衛を描きながら自らの老いの予行演習を行っていた節がある。すると、健康優良児で幸せな家庭を築いてしまった大治郎のことは、書きにくくなってしまったのかなと。
今村 年齢を重ねた方が『剣客商売』を読まれるのは素晴らしいと思いつつ、僕はぜひ若い人にも池波作品に触れて欲しい。高校生だったら、時代小説よりも歴史小説の方が日本史の知識で馴染みがあって入りやすいかもしれません。読みやすいところでは、『真田騒動――恩田木工』(新潮文庫)をお薦めしたいなあ。
真山 『真田騒動』はいいですね。人間って誰にもいろんなしがらみがある。いかに現実と折り合いながら前を向いて生きていくか、というテーマが、短編なのに凝縮されています。
今村 真田家絡みの話では、直木賞受賞作の『錯乱』(春陽文庫)も面白いと思いますし、今日のひとつのテーマになった「社会のグレーゾーン」を感じていただくには、『人斬り半次郎』(新潮文庫)がいちばんかな。
生島 薩摩出身の中村半次郎が、明治になって桐野利秋として新政府で出世していくという――。
今村 今の日本ではあり得ない話ですが、いろいろと考えさせられます。
真山 私はやっぱり『雲霧仁左衛門』が好きだけれど、初読の方なら、どのシリーズでもいいので最初から通読して欲しいですね。鬼平にしても秋山小兵衛にしても、梅安だって巻を重ねるごとに変化していくし、順に読んでいくと季節の移り変わりも分かりますから。
生島 私は『真田太平記』推しです。関ヶ原の戦いにしても「一六〇〇年」と記憶しているだけじゃもったいなくて、家康の当初の目的は上杉征伐だったとか、秀忠は真田親子のせいで関ヶ原に間に合わなかったとか、教科書には載ってない大切なことが面白く読めるので。
今村 僕は小説って漢方薬みたいなものだと思っていて、効能の表れ方が人によって違うと思うんです。池波先生の作品は、人生の要所要所で生きてくるんですよ。それが小説の強さで、池波作品は特にその効能が強い。
真山 池波さんの小説を読むと、今村さんみたいに関西に暮らす小学生でも江戸が分かるわけです。隅田川も、吉原も――あ、未成年に吉原はまずいか(笑)。
今村 いえ、人生にはそういう知識も必要です(笑)。
真山 いま自己啓発本がベストセラーになる時代ですけど、それよりも池波さんの小説を読んで、主人公の人生に感情移入して、失敗して、ふられて、裏切られてということを活字上で体験すると、人生が豊かになると思います。
今村 僕は池波先生に出会わなかったら小説を書いてませんでしたから、いま自分が『オール讀物』で池波先生を語る特集に出ているということを、小学校五年生の自分に見せてやりたい。
生島 どんな反応をするでしょうね、今村少年は。
今村 むっちゃ、興奮すると思います(笑)。
写真◎末永裕樹
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。