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中村吉右衛門主演ドラマ『鬼平犯科帳』聖地巡礼 あの名シーンはどのように撮られていたのか

中村吉右衛門主演ドラマ『鬼平犯科帳』聖地巡礼 あの名シーンはどのように撮られていたのか

春日 太一

池波正太郎、再発見!

出典 : #オール讀物
ジャンル : #歴史・時代小説

短い場面でも妥協しない

 第一話「暗剣白梅香」では、もう一か所、とても贅沢なロケーションの使い方をしています。

 物語中盤、密偵の伊三次(三浦浩一)が悪党を尾行すると、敵のアジトらしき場所にたどり着きます。茅葺屋根の大きな楼門と、その奥の苔むした屋根の家屋が、「郊外の隠れ家」としての情感をリアルに映し出しているのですが、これは摩気神社です。

『鬼平犯科帳』が映し出そうとした江戸は「草深い江戸」なのですが、その草深さは必ずしも青々した草深さだけではありません。武蔵野の台地や武州、上州あたりの乾いた質感の「草深さ」もまた、表現しようとしていたのです。

 そして、それを撮影するのに最適な場所が、この摩気なのです。摩気の位置する旧・丹波国エリアは、乾いた質感の平地とその向こうに山々が見えるという、江戸からみた武州や上州に近い光景が広がっています。そのため、そうした設定のシーンを撮る際に使われてきました。

 中でも、この摩気一帯は狭いエリアに多くの撮影ポイントがあります。まず、先述した摩気神社。決して大きな神社ではないのですが、古びた質感の楼門と苔むした茅葺の拝殿という景観は唯一無二で、「田舎の神社」を表現する上で最適の場所になっています。

摩気神社は千二百年以上の歴史を持つ

 そして、「暗剣白梅香」はそれを最大限に贅沢に使った例といえるでしょう。神社ではなく悪党の隠れ家なのですから、必ずしもここで撮影する必要はありません。ちょっとした小屋でも済むわけです。

 ただ、それをあえてここで撮ったことで、本当の奥地に隠れている感じと、その建物のもたらす威容もあいまって、「ただ者ではない大物がそこにいる」という不穏な予感を感じさせる効果をもたらしていました。

 ほんの短い場面でも妥協ないロケーション撮影を行ったことが、ドラマにスケールと奥行きを与えていた好例といえます。

 この場面、伊三次は尾行する際に橋を渡ります。この橋が摩気橋。残念ながら今は厳ついコンクリートの橋脚に変わっていますが、撮影当時は細い木の橋脚が幾重にも連なっていて、いかにも「田舎」としての情感がありました。この景観も、向かう先の隠れ家がかなりの郊外にあることを伝えています。

 そして、この摩気橋の袂には一軒の古い屋敷があります。通称「庄屋屋敷」と呼ばれる家屋で、文字通り、江戸時代の庄屋の景観を今に残しています。背後にこの屋敷が映り込むことで、摩気橋の「田舎」感がよりリアルなものになっているのですが、その反対側からのアングルが時代劇の撮影ではよく使われています。

テレビ版『壬生義士伝』でも使われた摩気橋

 田畑が広がり、その奥に板塀の庄屋屋敷、そして背後に山々――という風景は、さまざまな時代劇での田園風景に登場しますが、それがまさにここで撮られていました。

『鬼平犯科帳』では平蔵の親戚・三沢仙右衛門の屋敷の外観として使われたりもしましたが、それ以外で印象的なのは第二シリーズ第十二話「雨乞い庄右衛門」です。

 旅先の街道筋で、左馬之助は一人の老人(田村高廣)と出会います。老人はぼんやりと田園を眺めている。実は彼こそ大盗賊・庄右衛門で、やがて自らを裏切った子分たちを粛清することになります。

 そんな自身の状況とは正反対の長閑な光景を眺めつつの、左馬之助とのほんのひと時の穏やかな邂逅。これから彼に訪れる運命を思うと、なんとも皮肉な場面になっています。

 この田園風景が、まさにこの摩気の庄屋屋敷前で撮影されました。田園の中に足漕ぎの水車を配し、その奥に屋敷が見える。まさに、理想郷のような空間として映し出されていました。

 実はこの田園風景、驚くことに路線バスが行き交うような車道に面しています。なので、誰でも簡単に目にすることができますし、よく注意しないと、これがあの庄屋屋敷の見える田園風景だと気づかないで通り過ぎてしまうような、現代の日常空間に完全に溶け込んでいるのです。

 それを上手く切り取り、現代とは遠いファンタジーの世界の映像に仕立て上げる、時代劇スタッフの技能に改めて頭が下がります。

三十分圏内にある峠

 この摩気も、撮影所から一時間前後で行けます。とにかく、あらゆる景色が撮影所から近距離圏内にあることが、京都を時代劇の「聖地」たらしめているのです。

 それは、「峠」に関しても同様です。

 両側、あるいは片側が切通になっている峠道、両側に杉木立が林立する峠道、片側に眼下の平野を見下ろせる峠道、頂上の開けたところに茶店が建っている峠道――これらは、さまざまな時代劇でよく観る光景です。そして、それらは全て「谷山林道」と呼ばれる一帯で撮られています。

街道のシーンでよく使われる谷山林道

 文字通り林道なのですが、作業用に道路も整備されていて車で上まで登ることができるため、撮影がしやすいのです。しかも、これが撮影所から車で三十分ほどしか要さない。

『鬼平犯科帳』でも何度も使われていますが、中でも印象的なのは、密偵・粂八(蟹江敬三)が初登場する第一シリーズ第四話「血頭の丹兵衛」です。

 これは、盗賊として捕まった粂八が、大恩ある盗賊・丹兵衛が残虐非道な盗みを働いていると知り、「丹兵衛を騙る偽物に違いない」と判断して牢を抜け、真相を探ろうとする話になっています。

 物語の最後、平蔵と粂八は事件を振り返りながら言葉を交わします。そして平蔵は「もし、俺と仕事をする気があったら江戸へ訪ねてこい。そうでなければ、二度と俺の前に出るな。出たときは縄にかけるぞ」と言って先に茶店を出ます。それを受けて粂八は、「長谷川さま! お待ちください! お供いたします!」と先を行く平蔵に向かい、全力で駆けていきます。

 見晴らしの良い、真っすぐな一本の峠道。その先にいる平蔵。その画は、一切の迷いなく「平蔵についていく」と心に決めた粂八の想いがそのままに映し出されているといえます。これは、谷山林道という恰好のロケ地があるからこそ撮れたものだったのです。

オール讀物2021年5月号

文藝春秋

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鬼平犯科帳 決定版(一)
池波正太郎

定価:825円(税込)発売日:2016年12月31日

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