市川 僕も非常に面白く読み、『羊たちの沈黙』のレクター博士を連想したりしました。黒田官兵衛が安楽椅子探偵として扱われるという驚き、米澤さん以外が書いたらむしろ笑っちゃうかもしれない設定に妙味があります。個人的好みとしては、各事件で解決される事象が籠城の必然性にもう少し強く結びついていると良かったと思います。歴史小説か本格ミステリーか、というバランスを問われること自体がとてもユニークで、これからもこういう試みの作品を書いていただきたいなと楽しみにしています。
昼間 序章の官兵衛が捕えられるシーンから緊張感があるし、戦況が悪化するにつれて深まる村重の孤独もよく描き込まれています。ですが、良くも悪くも“時代小説+米澤ワールド”なので、どっちのウェイトが高いと感じるかが分かれ目かな、と。作品としては確実に面白くて、時代小説という言葉で括るとこぼれてしまう要素があまりに多いんですよね。この賞では「時代小説としかいえない」という作品を選ぶほうがいいのかなという思いもあります。
市川 舞台になっても面白そうです。
昼間 あ、いいですね。パルコ劇場とかでやってほしい。
吉野 荒木村重のある行動の理由に米澤さんの解釈による答が提示されているという点では堂々たる歴史小説です。一方で、黒田官兵衛の“動機”は感情にあるから、史実を詳細に知っている人でもハッとさせられるのが凄いところ。
市川 米澤穂信経由で黒田官兵衛の株が爆上がりするなんて想像もしませんでした。
『高瀬庄左衛門御留書』砂原浩太朗
――デビュー二作目にして直木賞候補となったことでも話題を集めました。亡き息子の嫁と倹(つま)しく暮らす、神山藩・郡方の庄左衛門。絵を描くことだけが楽しみの静かな日々に、藩の政争の影が迫り……という伝統的ともいえる作風です。
市川 人情あり剣劇あり、みたいな江戸ものがそんなに好きではないこともあって、周囲から「いいよ、面白いよ」と薦められつつも、今回の候補作に挙がるまで未読だったんです。いざ読んだら、前評判の高いハードルを飛び越えてくる完成度の、まさにザ・時代小説でした。山本周五郎さん、藤沢周平さんから連なるような作品が令和の時代にも生まれるんだ! と感慨深くて。これから活躍される作家さんということも加味して、時代小説大賞というのはこういう作品が相応しいのではないかと思いました。
平井 読んでいる間ずっと、真冬のしんとした静けさを感じていました。ひとつ、情景が思い浮かんできて大好きな場面があるんです。生母と引き離された切ない生い立ちの弦之助という若者が、母の家のすぐ側まで来ながら訪ねることはできず、同行した庄左衛門の用が済むのを松の木の下で待っている。そこに雪が降り始めて、戻ってきた庄左衛門が番傘を差しかける――そこの文章が良すぎて、もうこの文章だけで受賞を決めてもいいと思いました。
阿久津 これはきっとみんなが高評価だろうなと思って私は辛めに読んでしまいました。選考会参加も四回目となると、票読みが働いて(笑)。とはいえ直木賞候補にもなるくらい、クオリティの高い作品です。藤沢周平さんに似ているという声もありますが、私は砂原さんの描写力には渡辺淳一さん的なものを感じます。景色が見えるような、音が聞こえるような書き方は、五作中でも群を抜いているんではないでしょうか。
吉野 うちの店では「ジジ萌え」とも言っていました。冒頭ですでに連れ合いは亡く、息子にも先立たれ、もうこの先には何もないのかなと思うような境遇の主人公。その彼が若者を助け、藩の政争のために剣をふるう。老いて、人生終わっちゃったように思えても先は続いていく。年をとるのも悪くないなと思える小説です。静かな光のようなものが描かれていて、僕はそこに共感しました。
昼間 息子の嫁も慕ってくれるし。
吉野 そこは鼻白む人もいそう(笑)。
昼間 嫁のエピソードだけが違和感あったなぁ。葉室麟さんを知る世代としては懐かしい読み心地だし、この時代にこんな潔い装丁で攻めているのもかっこいいんだけれど。今いるおのれだけがまことなのだろう、とかある程度年齢のいった読者ほど刺さる台詞もいっぱいありますし。
平井 すべてを持つ者などいない、という言葉も良いですよね。世の中は理不尽というならば、誰にとっても理不尽なものなのだということを、本当に静かに描いていて。年配のお客さまには、直木賞候補になる前からずっとコンスタントに売れていました。やっぱりイラストよりもこういう装丁のほうが手に取っていただきやすいみたいです。
吉野 庄左衛門と嫁の関係性だけが、まるでこの純白の装丁に誤ってたらしてしまった墨汁のようで、昼間さんと同じく、そこは踏みとどまって抑制をきかせてほしかった……と思っていたのですが、ひたすら清潔な世界でまとめるのではなく一点の生々しさが必要だったのかなとも思えてきました。それが人間くささというものかも。
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