「高野山を抑え、紀州藩をはじめとする近隣勢力を牽制する」というのが、陸援隊のかねてよりの計画であった。田中らは正親町公董(おおぎまちきんただ)を通じて内勅を賜ると、公卿・鷲尾隆聚(わしのおたかつむ)を総大将に担ぎ上げ、土佐藩の銃器を無断で持ち出し、白川藩邸から脱走した。そうして伏見、大坂、住吉、堺を経て、十二日には高野山に着陣した。
田中たちは、近隣に檄を飛ばして兵を募ると共に、紀州藩らには「高野山への出張は、王政復古の令に背き、妄動する輩を鎮撫することが目的である」と申し入れ、戦端を開くことを避けつつ、動きを封じようとした。挙兵時点では、陸援隊の兵数は百人にも満たない。十津川郷士をはじめ、近隣有志の増援は日々増えてはいたが、紀州の如き大藩がその気になれば、瞬く間に叩き潰されてしまうだろう。そうでなくとも、京の情勢如何では、彼らは新政府の先遣隊から一転して、逆賊の汚名を被(こうむ)るかもしれなかった。
だが、時勢は彼らに味方した。年が明けた慶応四年一月三日、「鳥羽・伏見の戦い」が勃発。薩長を中心とする新政府軍が、旧幕府軍に勝利したのだった。
陸援隊は十日に下山し、錦旗を掲げて京へ凱旋した。各地から馳せ参じた有志によって膨れ上がった兵数は、最終的には千三百を数えたが、ほとんど戦闘らしい戦闘をすることもなく、彼らの任務は終わった。しかしながら、紀州藩を牽制し、抑え込むという当初の目的は、見事に達成されたといえるだろう。決して華々しくはないが、重要な役割を果たしたという辺り、中岡慎太郎が創った部隊に相応しい活躍かもしれなかった。
その後、陸援隊の兵の多くは、朝廷の御親兵(ごしんぺい)(明治四年に薩長土が献兵した御親兵とは別)として再編され、北越戦線などに従事した。
◆どんぶり酒
「写真にも残っているように、彼の眼光炯々(けいけい)として、蒼鷹が獲物を搏(う)たんとするかのようであったが、実際の人となりは温和で、また、大の議論好きだった」
土佐勤王党の三宅謙四郎は、慎太郎についてそう語る(『三宅建海翁談』)。生真面目で厳粛なイメージの強い彼だが、平素の振る舞いは穏やかだった。冗談をいうことも多かったらしく、龍馬の妻・おりょうは、次のように語り残している(『千里駒後日譚』)。
「面白い人で、私を見ると、“おりょうさん、僕の顔になにかついていますか”などと、いつもてがうて(四国方言で「からかって」の意)おりました」
その他にも、おりょうの話によれば、こんなこともあったらしい(『維新の残夢』)。
龍馬と慎太郎、それに海援隊の隊士たちが、京から伏見に帰る途上、居酒屋に寄った。龍馬は、一升五合は入ろうかという大きなどんぶりに、冷酒をなみなみと注がせ、
「さあ、これを一息に飲み干すのだ」
と飲み比べを仕掛けた。
「よかろう」
と菅野覚兵衛(すがのかくべえ)が、真っ先に進み出て飲み始めたが、さすがに途中で耐えられなくなり、半分ほど残してどんぶりを置いた。再びなみなみに注がれた冷酒を、慎太郎は七分、安岡金馬(かねま)は八分ほどまで飲むのが限界だった。ひとり龍馬だけが、どんぶり酒一升五合を一息で飲み干し、息を吐くこと虹の如しであったという(この「虹」は、「虹は龍の一種で、黄河の水を飲みに降りて来る」という中国の伝承になぞらえたものか)。
謹直で、常に多忙であった慎太郎だが、ときには仲間とこうして、馬鹿げた遊びに興じる瞬間もあったようだ。
◆新選組隊士、陸援隊に入る
陸援隊の中には、新選組に危うく斬られかけた過去を持つ者も少なくない。たとえば、田中顕助と大橋慎三、片岡源馬は、大坂城焼き討ちを企図して同志・大利鼎吉(おおりていきち)と大坂潜伏中、新選組の谷万太郎に寓居(ぐうきょ)を襲撃されているし(ぜんざい屋事件。たまたま三人は留守にしていて難を逃れた)、その後、片岡は十津川郷士・中井庄五郎と共に京にいたところ、四条大橋で行き会った新選組の沖田総司(そうじ)、永倉新八(ながくらしんぱち)、斎藤一(はじめ)と、酔いの勢いで喧嘩になってしまい、重傷を負いながらもなんとか逃れた。高野山挙兵の際に加盟した松島和助、竹野虎太(岡山禎六)なども、「三条制札事件」で新選組と斬り合った者たちだ。
だが、そんな陸援隊に実は、水野八郎という、新選組出身の隊士がいた。
水野は、新選組時代は橋本皆助(かいすけ)と名乗った。大和郡山出身で、「集義隊」という浪士部隊に身を投じ、水戸天狗党の筑波山挙兵に参加したという経歴の持ち主だ。彼は、慶応二年の秋に新選組に入隊するが、およそ半年後の慶応三年三月下旬、新選組参謀・伊東甲子太郎(かしたろう)に従って隊から分離し、伊東が新たに興した御陵衛士(高台寺党)に加盟する。
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