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【文庫版書き下ろし附録】「千里の向こう」拾遺 中岡慎太郎こぼれ話

【文庫版書き下ろし附録】「千里の向こう」拾遺 中岡慎太郎こぼれ話

簑輪 諒

『千里の向こう』(簑輪 諒)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

『千里の向こう』(簑輪 諒)

 もともと、伊東は分離以前から、近藤勇(いさみ)らの強硬な佐幕方針に疑念を抱き、むしろ薩長らへの接近を志向するようになっていた。慶応二年二月には、太宰府で慎太郎とも会っているが、彼らが互いにどのような印象を抱いたのかは、残念ながら書き残されていない。恐らくは、慎太郎はすぐに伊東を信用したわけではないだろうが、その後、京でも両者が会っていることから察するに、伊東の学識や弁舌、器量の見事さから、「もしその志が本物であれば、なにかの役に立つかもしれない」と考え、しばらく様子を見て、人物を見定めようとでも思ったのではないか。

 そうした両者の縁もあってか、慶応三年八月、橋本皆助は水野八郎と改名し、陸援隊に入隊した。七月二十七日に、伊東が慎太郎を訪ねた記録があるから、このときに水野の入隊について申し入れがあったのかもしれない。

 しかし、その四か月後――十一月十五日、近江屋事件が起こり、慎太郎は帰らぬ人となった。慎太郎たちを襲ったのは、見廻組の佐々木只三郎(たださぶろう)、今井信郎(のぶお)らだったが、当時は、新選組の仕業と見なされた。

 事件直後、村山謙吉という陸援隊士が、新選組の間者であったことが発覚したため捕らえられ、河原町の土佐藩邸の牢に入れられ、取り調べを受けている。その後の村山の消息は定かではないが、一説には、翌年、京で陸援隊士に殺されたともいう。

 水野の元新選組隊士という前歴が、陸援隊中でどの程度共有されていたかは不明だが、近江屋事件の三日後、彼を陸援隊に送り込んだ伊東甲子太郎が、新選組に殺害されたこともあってか(油小路の変)、村山のような目に遭うことはなかったようだ。

 その後も、近江屋事件の黒幕と目された紀州藩の三浦休太郎(きゅうたろう)を、海援隊・陸援隊が襲撃して、護衛の新選組と戦闘に及んだり(天満屋事件)、香川敬三が、近藤勇の捕縛に携わったり、宇都宮で土方歳三(ひじかたとしぞう)らと戦うなど、新選組と陸援隊士たちの因縁は続いた。

 水野八郎は、陸援隊士として高野山挙兵に参加し、京に戻ってからは、ほかの陸援隊幹部と共に、新政府から軍曹(当時は下士官ではなく、尉官級の将校)に任命され、東征に従事した。しかし、任務中、公金の管理に不手際があったことから免職され、明治四年、故郷の大和郡山で病没した。享年三十七。

 

◆「当時洛西の人物を論じ候得共…」

 慶応元年冬、慎太郎は第一回目の『時勢論』を著した。当時、薩長同盟は未だ成立には至っておらず、幕府は長州再征討に向けた準備を着々と進めていた時期だが、それでも、慎太郎は、「今後、日本を興隆せしめるのは薩長両藩である」と堂々と主張し、その根拠として、両藩の軍備や藩政の近代化・合理化、そして優れた指導者たちがいることを、この政治論文を通じて、国許や在京の同志に説こうとしたのだった。

 たとえば、西郷吉之助(隆盛)について、次のように評す。

「体格は大きく、御免の要石(かなめいし)にも劣らない。古の安倍貞任(あべのさだとう)などは、かくの如き者であったかと思わせる。この人は学識があり、胆略があり、常に寡黙で思慮深く、果断であり、言葉を発すれば確然と人の肺腑を貫く。かつ徳も高く、人を敬服させ、多くの困難を経験しているために物事にも老練している。その誠実さは武市半平太に似て、実に知行合一(ちこうごういつ)の人物である。これすなわち、西国一の英雄である」

 これ以上ないほどの大絶賛から、慎太郎の西郷への敬慕がうかがえる。要石(土佐出身の力士)や武市の名を挙げてたとえているのは、故郷の同志たちにわかりやすくするためだろう。こうした心配りといい、言葉を尽くした賞賛といい、薩摩に対して根強い敵愾心を抱いているであろう同志たちに、いかにして西郷の器量を伝えればいいかという苦心もあったのかもしれない。

「これに次いで胆力があり、見識もあり、思慮周密にして、朝廷での議論に耐えうる人物は、長州の桂小五郎だ」

 西郷に比べると簡潔だが、土佐志士たちと長州との関係を鑑みれば、中央政局で早くから活躍してきた桂について、あえて多くの言葉を用いる必要はなかったのだろう。慎太郎と桂といえば、やはり薩長同盟の印象が強いが、この周旋として並行して慎太郎は、長州支藩である長府藩・清末藩の諸士慰留のために奔走しており(高杉らが馬関開港のため、同地の支藩領を本藩に召し上げようとしたことがきっかけで、反発を招いていた)、諸士に敵視され立場の苦しくなった桂を、救援するために尽力している。

「胆力と機略に優れ、戦に臨んで惑わず、機を見て動き、奇を以て人に勝つ者は高杉晋作だ。彼もまた西国における奇才の一人である」

 慎太郎から見た高杉が、「奇」の一字に象徴されているようで、なかなか興味深い評だ。慎太郎は、長州志士の中では高杉晋作と久坂玄瑞をとりわけ尊敬しており、特に高杉とは漢詩を通じた交流も多かったらしく、高杉の詩集を借り受け、熱心に書き写して同志にも与え、その志を広めようとしたようだ(参考:一坂太郎『高杉晋作漢詩改作の謎』)。

 

 ※史料から紹介した逸話は、著者が意訳・省略を行いました。

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