「もっと早く教えてもらわないと困ります」不妊治療外来で、患者さんが産婦人科医に聞きたかった「本当に大事な妊娠の話」
出典 : #文春新書
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#政治・経済・ビジネス
不妊治療大国ニッポン
妊娠をとりまく状況は、この四〇年の間で大きく変わっています。
国内における体外受精の治療件数は年々増加し、最新のデータでは年間六万人以上の子どもが生まれています。一九八三年に日本初の体外受精児が誕生してから、累計で七一万人を超える命が体外受精によってこの世に生を受けました。
日本は体外受精の治療件数で、二位のアメリカを大きく引き離し、ながらく世界一に“君臨”していました。近年、データを公開した中国に一位の座を明け渡しましたが、日本は今なお世界有数の「不妊治療大国」と言えます。
少子化が進む中、体外受精で生まれる子の割合は増加し、現在では一四人に一人になりました。この数字は日本全体のものであり、都市部ではより高い傾向があります。都内では一〇人に一人以上、私の勤務する山王病院では四人から五人に一人を占めます。私は不妊治療を専門とするバイアスもあり、担当するお産の二人から三人に一人が体外受精によって誕生しています。
今後、さらにその数が増えることが予想されます。なぜなら、二〇二二年四月から体外受精を含めた不妊治療への保険適用が始まるからです。体外受精は従来自由診療で、全額患者さんの自己負担でしたが、保険適用によって、一定の条件を満たせば誰でも、原則三割負担で体外受精が受けられるようになるのです。
一九七八年にイギリスで世界最初の体外受精児ルイーズちゃんが誕生して以来、体外受精は世界に広まり、既に一〇〇〇万人ほどの子どもが生まれています。この技術がなかったらこの世に生まれなかった生命を思うと素晴らしい技術で、開発者であるロバート・エドワーズがノーベル賞に輝いたのも頷けます。ルイーズちゃんの誕生が公表された当時はあまりに革新的だったため、最初は驚きとともに受け止められた夢のような技術でしたが、これからは誰もが手の届く保険で治療できるようになるのですから、隔世の感があります。
本書では、体外受精がどのような治療か基本から解説します。しかし体外受精治療にも様々な問題点があり、手放しでそれを推し進めていこうというわけではありません。体外受精でなければ子どもが生まれなくなるようでは、人類も絶滅危惧種になってしまいます。体外受精による妊娠は「伝家の宝刀」として磨きつつ、出産を望む多くの方が安心して自然妊娠できる社会づくりを考えなければなりません。
リプロダクティブヘルス
リプロダクティブヘルスあるいはリプロダクティブライツという言葉を聞いたことがあるでしょうか。「女性は自分の産みたい時に産み、産みたくない時には産まないことが当然の権利である」(一九九四年カイロ宣言)ということです。男女共同参画社会は女性の活躍の場を広げ、女性が輝く社会が日本の未来を明るくします。しかしながら、二〇代、三〇代に思う存分仕事で活躍していると、結婚、妊娠、出産が遅くなる傾向は女性の有職率を含めた統計からも明らかです。諸外国の中には女性の有職率が出生率に影響を与えていない国もありますが、日本の現在の社会環境の中では、有職率の上昇は、出生率の低下に関係していると言わざるを得ません。働きながら妊娠、出産、育児が安心してできる環境が整っていないのは社会の問題と言えるでしょう。
妊娠率は世界最低レベル
「そんな大事なこと、もっと早く教えてもらわないと困ります。どうしましょう」
不妊外来で、四〇代の初診患者さんに「卵子は胎児のときに作られていて、年齢とともに数がだんだん減っていきます。あなたが四〇歳のとき、卵子も四〇歳で、妊娠率、流産率、染色体異常の割合にも年齢に応じた変化が生じます」と説明すると、多くの方が困惑します。
日本は先に述べたように世界有数の体外受精大国ですが、一回の治療で妊娠する割合、妊娠率は統計を明らかにしている国々の中で最低レベルです。
医療技術の高い日本なのに何故かとお思いでしょう。答えは先ほどの不妊外来の会話から浮かびあがってきます。日本では性や生殖の仕組みを教育することはタブー視されるところがあり、先進国の中では性や生殖に関する知識は最低の水準です。卵子のエイジング(老化)や妊娠の仕組みに関する知識が乏しいのは、教育の問題なのです。それゆえに、産みたいという希望を持っていても妊娠の時期を遅らせてしまったり、「いつでも産みたいときに産める」社会的な環境が整わないために、治療を開始する年齢が高くなり、妊娠率を下げてしまっているというわけです。
「いつでも産みたいときに産める」リプロダクティブヘルス/ライツを守るには、日本の社会と教育の二つの課題を両輪で改善することから始める必要があるのではないでしょうか。
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