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写真がテーマなのではないか

写真がテーマなのではないか

文:石内 都 (写真家)

『神様の暇つぶし』(千早 茜)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 実はこの小説のテーマは写真なのではないかと感じられる。写真について考える時、常に問題になるのは記録と記憶である。その両面を持ち合わせながら見えるものしか写らないと思われがちな写真なのだが、近年は写真に対してどんどん新しい解釈や考え方、方法論が語られ実践されている。今や写真は現代美術のカテゴリーに属している。

 小説の中の男はどこか古いタイプの典型的なカメラマンとして登場している。うかつにも無自覚に被写体になってしまった藤子は後悔と共に、若さと老い、父と娘、母と娘、男と女、そして生と死といった相対的な関係が「神様の暇つぶし」として大きく横たわっていることを知ることになった。そして写真に撮られた彼女は自分でありながら自分ではない、紙の上にプリントされた画像は、あくまでも過去の時間の断片であり、フレームに切り取られた時間はまたたきよりも短い一瞬だ。それが何枚も写真集として実在する。怖いことだ。

 その昔、写真を撮られると魂が吸い取られてしまうというような迷信があった。それは本当に迷信でしかないのだけれど、私はなるべく写真に写らない方がいいと思っている。写真に撮られるのが、苦手ということもあるが、あながち迷信は間違っているとは思えず、写されてしまった人物は生身の立体から平面におき換えられた画像でしかなく印画紙の上に焼きつけられた人物は実体から大きく離脱している。だから『FUJIKO』の写真集の中の人物は藤子のようでありながらもはや現実の自分とは大きくかけ離れた存在となってしまう。写真とは過去の時間が定着し、あたかも真実のような顔をして不気味にあり続けるものなのだ。それは本当に恐ろしい事であるから写真はなるべく撮らせない方がいいと思っている。

 この物語にはもうひとつの大切なポイントがあるのに気がつく。それは食べる事だ。千早茜の小説にたびたび食べる場面が出てくる。藤子がインドカレーを食べる場面からこの物語は始まる。物語が進行するたびに藤子は何かを食べている。一人だったり、男と一緒に、学友達と共に。この小説の中にどれだけの食べる物が出てくるか読みながらメモをした。かなりの種類の食べ物が登場する。桃が中心となり最後は韓国風豚バラ弁当だ。もしかして千早茜は食事のメニューを決めてから小説を書き始めたのではないかと疑った。

『神様の暇つぶし』というタイトルがこの物語は一筋縄でないことを示している。日常の生活は食事、睡眠、交友、性交、仕事、生きていく上で必要なものはたくさんある。そのくり返しの中で若かった藤子は歳をとりやがて老いて「神様の暇つぶし」が終わった時に死が待ち受けている。生きる現実からまだ知らぬ世界へ移行する。そんな事を感じながら本を閉じた。そしてこの小説に出てくる食べ物はみんなおいしそうだ。

文春文庫
神様の暇つぶし
千早茜

定価:748円(税込)発売日:2022年07月06日

電子書籍
神様の暇つぶし
千早茜

発売日:2022年07月06日

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