これらの作品が生まれた時代、一九五〇年代から七〇年代のころの一般の女性像は旧来の捉え方であって、司馬作品の女性像は男女雇用機会均等法の施行などをへて変化した現在の感覚を先取りしていたように思う。それは『ビジネスエリートの新論語』(文春新書)の「女性サラリーマン」で昭和三十年ごろの職場の女性像を描き、恋愛話や陰口にうつつを抜かさず職業に徹するようになれば世の中は一変する、と結んでいることから推測できる。
シンポジウムでは田辺聖子先生、出久根達郎先生のお二人が、司馬作品の女性像を「おてんば」と捉えて論を展開された。第二回の「竜馬と司馬遼太郎」では永井路子先生が「司馬さんは女性を個性的に書いていらっしゃいます」とおっしゃった。お話を聞きながら、私には司馬作品の女性像が“自立した女性”として浮かんでいた。
第六回の「二十一世紀に生きる君たちへ」は小学校六年生の教科書に書いた文章だ。司馬遼太郎の執筆速度は速いほうだが、この文章にはかなり時間をかけて書いた。一九八九年に教科書に掲載されており、世の中はバブル経済の最中だった。このことを思うと、欲が表面化したこの時代にこそ、次代を担うこどもたちに、伝えておきたい、という気持ちがあったのかもしれない。
「いたわり」や「やさしさ」の大切さをあげ、これらのことは訓練しないと身につかないと書き、自己の確立を説いている。
パネリストのお一人である安藤忠雄さんは、これまでは国や地域社会や企業が何かをしてくれるだろうと思えた時代もあったが、今や「もうなにもやってくれないと考えたほうがいい。責任ある個人を、自分たち一人ひとりが自ら育てていくしかないだろう」と言われた。
デジタル社会ではAⅠ(人工知能)や仮想現実世界(メタバース)の進化とともに、さまざまな分野で恩恵を受けられる半面、我々の自己が確立されていなければ、ただ波に飲み込まれるだけで、何かを見失うことになりかねない。
養老孟司先生は「体を使って働け」と、井上先生はともに生きるために「水」の大切さをあげられ、次世代へのメッセージとされた。
と、ここまで書きながら、実は、『二十一世紀に生きる君たちへ』は約二十年の記念館活動の実感として、大人の方々にも読まれている、という受けとり方をしている。それだけに、パネリストの皆さんの発言は次世代のみならず、今の我々への提言として重く受け止めたい。
このシンポジウムでは毎回のように参加されるパネリストがおられる。前半が井上ひさし先生、後半からは磯田道史先生である。自然の流れでそうなった。おふたりはシンポジウムに欠かせない存在、と思っている。
シンポジウムの内容が充実しているだけでなく、穏やかな温かさに包まれるのは司会をずっと続けてくださる古屋和雄さんに負うところが多い。パネリストの皆さんから的確に意見を聞き出されるばかりか、エンディングでその時々のテーマに合わせて司馬遼太郎の文章の一節を朗読される。朗読の余韻に浸りながら観客は会場をあとにされる。
二十五回のシンポジウムの要旨からテーマの重複に気を配りながら取捨選択しまとめられた文春文庫編集部の北村恭子さんに心から感謝したい。
(「あとがき」より)
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