『12番目のカード』
(二〇〇五年/二〇〇六年)文春4/「このミス」6
――しかしトムソンは、さっき迷ったとき、娘を殺すほうがより効率的だと判断した。

ライムたちから未詳一〇九号と呼ばれる少女殺人未遂犯の正体は、トムソン・ボイドと言う名の殺し屋である。彼は外見に際立った特徴がなく、周囲の群衆に溶け込んでしまえることから〈アベレージ・ジョー〉と異名をとったこともある人物だった。
だが、本書で語られるボイドの内面は意外と人間臭く、おもしろい。彼は父親から工具の扱い方を仕込まれた。「ものの大小は問題ではない、どこに基準点を置くかの問題だ」との教えは工作ではなく死のビジネスに活かされることになったのである。また、ボイドは子供のころから音楽好きで一時はレッスンに通ったこともあったほどだった。しかし指が太いせいで演奏は上達せず、低いしわがれ声しか出せない喉では声楽家になるのも無理だった。そのために早々に夢を放棄せざるをえなかったが、それでも口笛を吹く癖だけは残った。「ユア・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」「タイム・アフター・タイム」といったヒットナンバーが、この血腥(ちなまぐさ)い話の間奏曲として流れている。そんな一面もあるものの、彼はやはり壊れている。すべてのことに対して驚くほどに心が動かない「無感覚な感覚」の人間なのだ。だから騒ぎを起こして群衆の目を逸らそうとするだけのために、平気で人を殺すようなこともできる。
本書は、少女が強姦殺人の被害者になりかける、という衝撃的な場面から始まる。だが、ライムは犯人の目的が強姦ではなかったことをすぐに見破るのである。真の動機を推理するのがミステリーとしての主眼になる。実行犯であるボイドを含む複数の人間の動向が並行して描かれる叙述形式が、読者に対するいい攪乱材料として機能している。