――このたび『陰陽師(おんみょうじ)』の単行本としては七冊目となる『瀧夜叉姫(たきやしゃひめ)』が刊行されますが、夢枕さんの文章に村上さんの挿絵というコンビも、もう十九年も続いているわけですね。
夢枕 ああ、もうそんなにお願いしているんですね……十九年前というと、僕はまだ三十五歳でした。
村上 でも、そんなに長くやらせていただいているのに、なかなか接点がありませんね。
夢枕 そうですね。だから今日は、せっかくなので村上さんの絵についていろいろとおうかがいしたいんです。村上さんが『陰陽師』で描いてくださる妖怪は、やっぱりいろんな資料を参考にして描かれるのですか?
村上 資料は昔の絵巻物くらいしかないので、そこから自分で想像して描くということが多いですね。できるだけ嘘っぱちにはならないように気をつけています。いかにも本物らしく描くというのが、その絵描きの力量なのかなと。だって化け物なんて、まずお目にかかったことありませんし(笑)。ただ、自分としては、いかにもおどろおどろしいものは、あんまり描きたくないというのが本心で。
夢枕 村上さんの妖怪はみんな可愛いというか、愛嬌があって、個性的ですよね。
村上 じつは僕ね、意外とそういう世界は好きなんですよ。ほんとに怖いのは、何もないことのほうだと思うので。たとえば子供の頃、何か出るぞ出るぞといって、家の廊下の障子をパッと開くと何もいない。そういうほうが怖かった。
夢枕 僕の家も昔は古かったんですけど、やっぱり怖かったですね。
村上 やっぱりトイレが怖いでしょう。
夢枕 そう。水洗じゃないし、トイレの明かりって暗(くら)ーいんですよね。だから子供の頃は戸を開けて入っていました。
村上さんの絵は墨で描かれているものが多いですが、筆と墨を使ってあれだけ自由な線を引くことができるというのが、すごく不思議なんですけど、先生につかなかったことがよかったんですかね。
村上 そうだと思います。美術というのは、別に墨絵ではなくて油でも日本画でも、先生につくとみんな先生と同じような絵を描かざるを得ないというか。僕は美術学校に行っていませんが、美術学校へ行くと、いい点数をもらおうと思うと、どうしても先生のお気に入りの絵と同じパターンになってしまうようですね。
夢枕 やっているうちに引き返せなくなって、それが自分の個性のようになってしまう。
村上 そう。書でも同じなんですよ。僕なんか、「面白い字を書きますね」といわれるけど、書道は小学校から中学校のときに習っただけで、まだ完璧に形を決められない前に脱線して横のほうに行ってますから。
夢枕 たとえば『陰陽師』のタイトル文字を書くときなんかは、頭の中で考えたりせずにいきなり書いてしまうものなんですか?
村上 ええ、いきなり書きます。だから、あ、ちょっとこの線は左のほうへ行き過ぎたなと思ったら、次の字のときにちょっと右のほうへ軌道修正したりして。
夢枕 絵もだいたいそうなんですか?
村上 ええ、絵も同じです。
夢枕 まずさっといっちゃってから、その線に責任をとって次はこういくという感じで?
村上 そうです。僕がデッサンをしないでいきなり描く理由はそれなんですよ。そういうことで味が出るというか。たとえば人間の身体も、好きなところから描きます。人によっては、顔から描くと決めている人もいるかもしれませんが。
夢枕 僕の知っている漫画家はだいたい顔の輪郭線とかから描きますけどね……。
村上 僕はいきなり描いて、左へぶれたら右へ直していくというような……そういう描き方です。それでどうしてもうまくいかなくなったら、それはボツにしますけど。いつもぶっつけ本番というか。絵本の仕事で、よくラフを見せてくれといわれるんですけど、たとえ下描きでも、一回描いちゃうと同じような絵をもう一回描くというのはいやなんですよ。だから、すいませんけどラフは描きませんと。で、できたものに関して悪かったら全面的に描き直すし、その時点で手直しします、というんです。これまでも、よっぽどの間違いがない限り描き直したことはないです。
村上 これは髪の毛が先だったと思いますね。
夢枕 髪の毛を描いているときには、足はどういう向きになるとかは決まっていない?
村上 大まかなイメージはあるんですけど、お尻が出てくるとか足が出てくるとかいうことは、髪を描くときには予想していない。
夢枕 ふーん。これ好きなんですよ、お尻がかわいくて(笑)。それで、締めはどこに?
村上 足ですね。着物を描いて、ちょっと足が出たほうがいいかなという感じで。
夢枕 そうですか。面白いですねえ。以前、テレビで書を習うという番組があって、そのときの先生が岡本光平さんという方だったんですけど、あの方も変なところから書いたりするんですよね。普通の書き順じゃなくて。たとえば「木」も、いきなり下から上にブワーッと線を書いて。でも最後はちゃんと「木」になっていくんですよ。
村上 いつも予定通り、決まった順序通り、というのでは面白くない。そういう意味じゃ、小説を書く方は、僕が(話の)どの部分を挿絵にして描いてくるんだろう、といつも思うらしい。僕はとんでもないところを絵にしたりするから。
夢枕 いやあ、ほんとに。いつも見るのが楽しみなんですよ。予想がつかなくて。
村上 できるだけそれらしいところを描かなくちゃいけないんですけど、あんまり説明しすぎるのも……。文章がせっかくいい感じで説明しているのに、絵がもう一回同じような場所をなぞっても仕方がないんじゃないか、という思いがあるんです。だから僕の場合は、えっ、と思うようなところが絵になっていると、よくいわれます(笑)。
夢枕 担当編集者がいつも嬉しそうに見せてくれるんですよ。村上さんの絵のコピーをもってきて、ちょっともったいぶって「へっへっへ」といって出してくる(笑)。それで、僕がその絵を見て「おーっ」と喜んでいるのを横で嬉しそうに見ているんです。この『陰陽師』の絵を村上さんに描いていただいて、ほんとうによかったなあと思っています。僕の文章だけだと世界がある程度限られるところがあるんですけど、挿絵を描いていただくと、世界が広がってね。
村上 さきほどの『鉄輪』もそうだけど、この絵物語シリーズはすごくいい本だと思いますね。大人の絵本というか。
夢枕 シリーズ一作目の『瘤取(こぶと)り晴明』は書き下ろしでした。絵本を作ることになり、じゃ、新しい話を一本書くので、絵を描いていただきましょうといって、僕はかなり燃えて書いたんです(笑)。いっぱい妖怪を出そうと思って。僕、村上さんの描く妖怪が好きなんですよ。だから、できるだけたくさんの妖怪が出てくる話がいいと思って。
村上 いやあ、でもさすがに昔の人の想像力にはちょっとかなわないですから。たぶん昔の人はちゃんと妖怪を見ていたんじゃないのかなと(笑)。暗闇もあったし。いまは妖怪が出てくるような暗がりがないから……。
夢枕 ないですねえ。昔は夜なんか真っ暗で、一番明るいのが空だったりして。
村上 星がないとまったく暗くてね。
夢枕 星明かりとか、そういうのがあった。いまは夜に懐中電灯を持って外に出ようなんて思わないですよね。