特集

週刊文春記者の見た東日本大震災・取材メモから

文: 石垣 篤志 (週刊文春記者)

東日本大震災から5年を数える。 情報が錯綜し、通信や交通が途絶える中、実情を伝えるため現地にたどりついた「週刊文春」の記者。人智を凌駕する力により壊滅した地で彼が見たものは何か。当時の記録の一部をここに公開する。

4月8日

福島県南相馬市

 避難所の小学校にいたCさん(60歳・当時)という白ヒゲの男性の被災話。

福島県浪江町

「自宅は沿岸部の原町区南萱浜。15時半頃、大津波警報が鳴って10分くらいしてからだった。真っ黒な第一波が来て、逃げようと車のエンジンをかけた途端に、第一波を引き込んだ第二波にやられてしまった。車に乗ったまま150メートルほど流された。車の前が水に沈み、ハンドルを握ったまま、逆立ちした状態だった。車内に水は入らず、そのまま引き摺られていった。もう死んでもいいや、とハンドルの手を離すと、孫の顔が浮かんできた。再びハンドルを握った。瓦礫が突っ込んできて、車のガラスを突き破り、その勢いで外に出られた。瓦礫だらけの中、何とか水面に浮上して、杉の木が3本立っているところを見つけた。必死でそこに登った。海の方を振り返ったら、まだ真っ白な波がすごい高さで迫っているのが見えた。また水に飛び込んで、100メートルくらい進んだところで、女房たちに発見され、助けられた。一緒に逃げた。家は見事になくなった。気がついたら足が切れて血が出ていた。流されている時は、何度ももうダメだと思った。今、何とか生きている。でも今度は生き地獄が始まった」

4月10日

福島県相馬郡新地町

 ※O記者は猪苗代方面へ。K記者は北上市。

 昨日とは打って変わって快晴。10時、福島市を出発。

 

 福島市に常駐していると町職員に伝えると、そっちの方が線量は高いが大丈夫かと心配される。新地町を始め、沿岸部の南相馬市の一部より、福島市、郡山市の方が線量は高い。滞在以降も毎時平均2マイクロシーベルトを計上している。

4月11日

福島県福島市(福島県庁)

 震災発生から1カ月。駅そばのホテルから徒歩で福島県庁本庁舎へ。正面入り口に30人ほどの報道陣。作業着姿の東電社員が5人。記者たちがぶら下げているガイガーカウンターが羨ましい。13時15分、社員のひとりが「来ました。あの車です」。品川ナンバーの漆黒のレクサスを横付けし、清水社長が降りる。揉みくちゃになりながら、階段を上って2階の副知事室、3階の県議会議長室を回り、5階のオフサイトセンターへ。各フロアでは名刺を置いてきただけ? この間、約5分。5階のエレベーター前のスペースで14時から会見予定。報道陣は70人ほどに膨れ上がっている。中国のテレビクルーもいる。13時52分、余震で庁舎が音を立てて揺れ、周囲がどよめく。

震災発生時刻、東電幹部らの黙祷

 14時前、清水社長の会見。林孝之・原子力・立地本部長、石崎芳行・同副本部長を合わせた3人が報道陣の前に立つ。約35分(ICレコーダーは回してあるが、書き起こしは割愛)。社長の言葉からは具体的な今後の見通し、東電の経営哲学が全く伝わって来ない。怒号が飛び交うようなことはなかったが、やはり県民を代表する地元メディアの質問口調には、押し殺したような怒りが滲む。

 発生時刻の14時46分。東電幹部が報道陣の前で1分間の黙祷。

■関連記事
インタビュー・対談「災害報道と小説の可能性――篠田節子×石垣篤志(週刊文春記者)」

オール讀物 2016年3月号

定価:980円(税込) 発売日:2016年2月22日

詳しい内容はこちら


 こちらもおすすめ
インタビューほか災害報道と小説の可能性――篠田節子×石垣篤志(2016.03.01)
書評被災地を生きる作家・熊谷達也の内なるドキュメントともいえる小説(2015.12.25)
特集電子書籍で「戦後」を読む 70年の70冊 そして3月11日――2005年~14年(2015.07.16)
書評震災直後、ガン放射線治療を受ける女性にとって、放射能とは、東日本大震災とは?(2015.02.04)
書評防災無線で津波避難を呼びかけ続けた 故・遠藤未希さんの母が綴った3冊の日記(2014.08.22)
書評不名誉な世界一(2014.08.20)
書評『河北新報のいちばん長い日』解説(2014.04.03)
書評フクシマの未来の子どもたちへ(2014.02.19)
インタビューほか新しい社会の機運を感じた (2013.10.23)
書評初の「震災小説」(2013.08.23)
特設サイト森 健『「つなみ」の子どもたち 作文に書かれなかった物語』(2019.03.08)
書評災害からじっと見つめられて (2011.09.20)
書評「近い将来」の大災害にどう備えるか(2011.08.20)