司馬作品からの影響
――デビュー作である『後宮小説』(新潮文庫)以来、酒見さんの小説には、どこか講談的なところが共通してあるようにも思われます。
酒見 私の表現法はまあ異端なものかも知れません。歴史小説の王道というと、司馬遼太郎さんを思い浮かべる人は多いと思います。でも、昔、司馬さんの『空海の風景』(中公文庫)という作品を読んで、これはギリギリのところにあるな、と思ったことがあるんです。膨大な史料を駆使されていて、論文なのかエッセイなのか評伝なのか小説なのか、もうわからない。
司馬遼太郎作品の特色のひとつは、時折、作者の顔が覗くというところだと思うんですが、覗くにしても『竜馬がゆく』や『燃えよ剣』などは、作者が主人公に寄りそう形で、物語になっている。けれど『空海の風景』になると、顔を覗かせる作者が果たして空海に寄りそっているのか、突き放しているのか、よくわからない。空海のやっていることの半分はオカルトで、司馬さんの好みとはそぐわないような気もしますし、まあ、非常に実験的な作品だと思ったわけです。
こういう司馬さんの実験的手法を用いると、嘘八百がまるで史実であるかのように表現できる不思議さがある。ではそれをもう一歩進めてみたらどうなるか。そんな小説は成立するのか。そういう個人的なテーマはいちおうあるんです。
そもそも歴史小説を書くということ自体が、ウソをつくことというか。歴史上の人物が何を考えていたのかなんて知ることは不可能で、仮に本人の手紙という一次資料があったとしても、違うこと考えながら書いていたかもしれないし。
――さて、改めて内容に戻りますと、孔明の奥さんとなる黄氏のキャラクターにも驚かされます。「一目見た男は千里の果てまで逃げ走る」天下の醜女(しこめ)であり、奇怪なロボットを生み出す発明家でもある。孔明の嫁取りの場面にも、長い紙数が費やされています。
酒見 まあ、実際書いているうちに、自分も聴衆のひとりとして講釈師の話を聞いているような気分になってくるわけですが、この話をもっと聞きたいな、と思ったところが原稿でも長くなってしまいます。孔明の奥さんは、醜女というだけで、名前すら明らかでない謎の女性ですから。
――本書では孔明の出廬までが描かれます。今後、まだまだ我らが孔明の活躍どころは多いと思いますが、すでに「別册文藝春秋」で連載が始まっている第弐部では、どこが見所となるでしょうか。
酒見 どうなるかわかりません。
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