伊東 『太平記』も、兵力に関しては、めちゃくちゃな人数です。
本郷 二十万人の大軍などと書かれていますからね。その後の信長の戦いを見てみると、自軍の兵力が多い時以外は絶対に戦わないのです。彼は兵力が多い方が勝つという原理原則で動いています。『信長公記』では、話を盛り上げるために信長の兵力を実際より少なく記したのかもしれません。
高橋 合戦の描写を見ていくと信長の女性的な繊細さを感じます。「髪の毛が伸びたら雨が降る」とよく言われますが、信長はそういった感覚を重要視していたのではないでしょうか。それに子供の頃から仲間とウロウロ歩いているからその土地の雲の流れを見て、「二日後は雨だな」とか予測することもできたかもしれない。
本郷 作家の新田次郎さんは信長を「梅雨将軍」と評しましたが、確かに天候を味方にする部分があります。
伊東 長篠の合戦でも、いざ戦端が切られるときには、計ったように雨が止みました。風雨考法に長じていること、つまり天候を読めることも、戦に強い秘訣だったのですね。
高橋 桶狭間で勝利した信長は美濃へ侵攻します。私は、役作りのため美濃に信長が築いた岐阜城に登った時、鮮烈な体験をしました。たまたま夕方だったのですが、山のてっぺんの城から、西の方を見ると長良川の先の養老山地から京都の方が黄金色に輝いているのです。これを見たときに、「あっ、信長はこれを見たから絶対に京に上ると決意を固めたな」と思えた。
本郷 それは良い光景を見ましたね。その天守閣を最初に発想したのが信長です。それを全国に普及させたのが秀吉。天守閣は大きくて誰でも見ることができるのが非常に重要なポイントです。天守閣は誰にでも見えなければいけない。
高橋 つまり権力の象徴ですよね。自分はこれだけの金と力を持っていると見せつけることができる。
本郷 信長のすごいところは、「見せる」ことの意味を分かっていたところです。源頼朝も足利尊氏もそういった形で象徴を作らなかったし、足利義満の金閣寺は誰にも見られないように建てられています。
高橋 天守閣は城下町から見上げたところにドンとあるわけですからね。
本郷 その一方で、信長は機動性を重視するから本拠地をどんどん変えている。那古野城に始まり、清須、小牧、岐阜、安土と目的に応じて移動する。この発想は、ほかの大名にはないものですね。毛利家は山奥にある吉田郡山城から動こうとしないし、武田家も甲斐を動かなかった。
高橋 最終的には大坂を本拠地にしようとした、という説もあります。
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