インタビューほか

新しい信長像――そのカリスマと狂気

『王になろうとした男』 (伊東潤 著)

戦に勝つ秘訣

伊東 家臣の個性や能力の把握についても、信長は長けていたと思われます。誰しもが出世を目指していたと思われがちな戦国時代、信長は、専門職を育成しようとしていた痕跡があります。桶狭間の合戦で今川義元の首を取った毛利新助は、本能寺の変で信長の長男信忠と共に討死します。彼は死んだとき、桶狭間の頃と変わらず馬廻衆でした。二十年経っても出世していないのです。でも信忠に殉じたところからすると、当時の身分に不服を持っていたようには思えません。

高橋 役付きになりたい人間なのかそうでないかを見抜いているんですね。自分の傍にいれば、身分を高くしなくても喜んで働くような人間だとわかっている。そういうタイプだから、息子の近習にした。

本郷 毛利新助の気持ちがよくわかるなあ。私もどっちかというと毛利タイプなんです(笑)。上には誰かいて欲しい。

高橋 それは日本人独特の感性ですよ(笑)。かくいう私も信長の一方で、日露戦争で大活躍した参謀の児玉源太郎が大好きなんです。ナンバーツー志向のところがあります。

伊東 桶狭間の合戦は、奇襲ではなかったという説が有力になってきています。考えてみると、従来の奇襲説はおかしな話で、織田勢が飛び出すと大風が吹いてきて、それに乗じて今川義元の軍勢を敗走させ、義元の首まで取ってしまう。織田勢は、一直線に義元本陣へ突入したという感じです。しかし地元出身者に聞くと、今は宅地が造成されて想像しにくいそうですが、昭和四十年代末頃までの桶狭間は、小丘が複雑に入り組んでいて、見通しが悪かったそうです。つまり一直線に義元のいる場所まで進むには、地形を完全に把握していなければなりません。これは、なにかの手引きがないと難しい。

高橋 信長の側室の生駒の方の家は諜報活動をやっていたような話もありますね。

伊東 他にも、簗田政綱が合戦の後に功第一とされたことから、義元の居場所を把握していたとする説もありますが、これも推測の域は出ません。私があえて提唱したいのは、当時、今川家中だった徳川家康の内通説です。家康は今川軍の先方(さきかた)として大高城に入っているので、義元のいる場所はわかっていたと思われます。家康は義元から信頼される一方で、西三河の統治を任されないことに不満があり、このまま今川家の一家臣として終わるよりも、独立を選んだのではないでしょうか。

本郷 ただ、兵力に関しては一言申し上げたいと思います。今川義元は駿河、遠江、三河三国の太守と言われますが、実際の石高を足すと、太閤検地の後の数字で七十万石です。一方の尾張は非常に豊かで、一国で五十七万石もあるのです。

高橋 一国でそれだけありますか。

本郷 そうなんです。兵力は石高に比例しますから、実際の桶狭間の合戦は相当拮抗した兵数で戦っていた可能性があります。巷で言われるような二万五千人対二千五百人ではなかったのではないでしょうか。信長の研究者やファンの間では、『信長公記』をきちんと読むべきだと言われていますが、こと桶狭間に関しては記述が信用できない。そもそも合戦自体が一五六〇年ではなく、一五五二年に起こったことにされているのです。さらに今川勢は四万五千人と書かれていますが、これは軍記物のお約束。『平家物語』や『吾妻鏡』の時代から兵数は嘘をついていいことになっている(笑)。

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王になろうとした男
伊東潤・著

定価:本体660円+税 発売日:2016年03月10日

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