この春秋時代の英傑を描いた宮城谷作品には、本書のほかに『侠骨記』『管仲』『重耳』『介子推』『沙中の回廊』『孟夏の太陽』『晏子』『夏姫春秋』『子産』『呉越春秋 湖底の城』などがあり、いずれも現代社会の混沌と矛盾に目を向けさせる内容の濃さがある。
宮城谷昌光は華元に「礼は、ひとつだ。ちがう礼とは、非礼または無礼のことである」と言わせて、「礼とは人が集団で生きてゆくときの調和の表現である、というのは、じつはのちに生まれる孔子の思想である。が、孔子の誕生より四十年以上も前であるこのころの礼の概念は、人に限定されず、あえていえば宇宙の原理である。それを明確にいったのは鄭の子産であるが、華元のいう礼は子産のそれに近いであろう」とフォローしている。
周王室の力が衰弱し、時代は天下の主宰を周王にではなく諸侯のなかでもっとも力のある者に求めた。覇者の時代の到来である。そんな時代を華元は生きたのである。やがて南方に本拠をかまえていた楚が急速に肥大化し、宋はこの楚との戦いに直面することとなる。
宋は、周の武王によって滅ぼされた商の遺民の国で、異姓の民族に囲まれて生きてきた。孤独に馴れており、それだけに矜持が強く、他の民族に降伏するという卑屈さを選ばないところがあった。華元は宋の宰相として名君・文公を補佐した。生来、争いを好まない華元は、ひとを包み込む明るい磊落さで、武力に頼らず戦乱の世を生き抜いていく。
物語は、いきなり華元の「体貌」の描写から始まっている。「睅目皤腹(かんもくはふく)」(出目と太鼓腹)が特徴の「今年で三十四歳」。「大ぶりな容姿」に加えて、「人をつつみこむ独特なふんいき」「明るい磊落さ」「人を打ちまかすようなすぐれた見識を披露することはなく、常識家の域をでないといえばそうにちがいないが、意見が棘を立てそうになると情でくるむような話しかたをする」とある。
君主・昭公に冷遇されていたのだが、つねに国を愁えており、「盟(ちか)ったことを棄てることは、みずからの信を棄てるようなものです。小国である宋は、大国を頼るしかありませんが、信を立てなければ、大国に棄てられ、ついには天に棄てられます」などと言う。
華元は争いを好まず、あえて負けを選ぶことで真の勝ちを得る。乱世にあって自らの信念を曲げることなく、詐術とは無縁のままに生き抜いていく。それを物語の中で一つ一つ押さえていく面白さがあり、このあとの波瀾の展開に興味が注がれる巧みな構成となっている。
周の王女で、二代前の宋公・襄公夫人だった王姫も昭公に冷遇されていた。昭公の無道な悪政に、王姫は自分が宋に正道を復活させるしかない、と帥甸(すいでん/郊外を監司する長官)に昭公を討たせ、成公の子で昭公の腹ちがいの弟・公子鮑が君主となる。
新君主暗殺の陰謀を知った華元は、公子鮑を名君にしたいので清浄な空気の中で即位させたいと願う。華元はなににつけても卑劣で荒々しい手つきを好まない。政争においても同じで、武力の行使はさいごの手段と考えていた。華元は反対勢力の謀叛を未然に防ぎ、公子鮑は無事に即位して文公となり、華元を右師に就かせる。華元は桓氏の族人の上士を士(司法官)に任命、「士仲(しちゅう)」とよんだ。
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