書評

歴史に光彩を放つ華元の磊落さと誠実さ

文: 清原 康正 (文芸評論家)

『華栄の丘』 (宮城谷昌光 著)

「最初あの人はそういう役割ではなかった。つまり士仲は一過性の人としてだすつもりだったのですが、華元のほうにどんどん近寄ってきて、最初の予定がぜんぶ狂いましたね(笑)。不思議なことに、自分の意図とまったく違う方向に去来する人がいるものですね」

 このことで思い出したことがある。宮城谷昌光はかつて、小説を書くときはプロットを確定しないで取りかかるといった意味のことを語っていた。確定してしまうと、それに縛られて筆が伸びないからだという。このことを本書の士仲の存在が証明しているように思えたものだ。

 そして、もうひとり、王姫に関しては、ある程度は史料に出てくる人物なのかという問いかけにこう語っている。

「もちろんでていますが、直接的な発言がそんなにあるというわけではなく、史料の影の部分を読んでゆくと、そうとうにすごみのある人であるという感じがしました。なにしろ君主を追放し、替えるわけでして、これほどはっきりしたことができるというのは、他に例がないんです。強力な政治力の持ち主でなければできませんから。

 中国のこの時代は、意外に女性の発言権が大きくて、君主の夫人などが次の跡継ぎに関してかなり口出ししていますね。たとえば夫人が、死んだ君主と違う跡継ぎを指名するから、二派に分かれて内紛が起きるなどということがしばしばありました。しかし王姫の場合は政治的なクーデターをやって成功するのだから、珍しい例といえましょうね」

 本書の「あとがき」の中で、宮城谷昌光は次のように綴っている。

「華元を描いたのは、この小説がはじめてではない。『夏姫春秋』に華元を登場させた。そのとき、華元のおもしろさに気づいた。こういう性格の宰相は、春秋時代を通して、どの国にもみあたらない。かれは闘争の場裡には、けっしてさきに踏みこまない。それでいて宰相でありつづけ、天寿をまっとうしたのは、奇蹟とよんでさしつかえないのではないか。王姫ともよばれる襄公夫人も、ふしぎな人である。そういう鬼才にはさまれると、文公という英邁な君主が凡庸にみえるのもおもしろかった」

 華元が生きた時代からいっても、『夏姫春秋』や『子産』に登場してくる人物や取り上げられているエピソードが本書にも盛り込まれており、各作品とのつながりの面白さを味わうことができる。

 宮城谷昌光は『春秋の色』(講談社・一九九四年刊)の「古代の中国と日本」章の中で、「古代の中国を知ることで、日本を新しい角度でみることもできる」と記している。この一文を念頭に本書を読み進めていくと、「人には強さと弱さとが同居し、両者が争うと、おのれを失う。強さが弱さをいたわり、弱さが強さをつつしませるようになれば、豁然とするときがくる」「人に仕えるには、能ではなく徳ですべき」「徳は、生まれつき、そなわっているものではない。積むものだ。足もとに落ちている塵をだまってひろえ。それでひとつ徳を積んだことになる」などといったフレーズが読む者の心にしみ入ってくる。そしてそれは、現代とは時代状況が違うとはいえ、施政者の政治姿勢と志のありようについて数多くのことを示唆してくれる。あえて負けを選ぶことで、真の勝ちを得る華元の施政者としての態度は、平成日本の現状との比較で考えさせられるところが多い。

 残酷な歴史の流れに対する華元の明るい磊落さと誠実さとが救いとなっている。読者はこの点に魅了されてしまう。宮城谷昌光作品が光彩を放つ所以でもある。

華栄の丘宮城谷昌光

定価:本体700円+税発売日:2016年06月10日


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