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宮城谷三国志、堂々完結――この大長編に、執筆だけでも十二年の歳月をかけた

宮城谷三国志、堂々完結――この大長編に、執筆だけでも十二年の歳月をかけた

文:湯川 豊 (文芸評論家)

『三国志 第十二巻』 (宮城谷昌光 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

 私はこの劉備の描かれ方がまことに面白いと思った。赤壁の戦いの直前、曹操軍の諸将が集まって敵状を評定したとき、程昱(ていいく)がうがったことをいう。

 孫権はひとりで公(曹操)に立ち向うことができない。必ず劉備を資(たす)けとしてわれらに当るだろう。ただし困難がなくなれば、勢力は分裂する。劉備はそれをうまく利用して成功し、たれも劉備を殺せなくなる。

 作家は、この程昱の言葉を、おそろしいほどの予言力だと評している。さらにいえば、宮城谷『三国志』のなかでも劉備という人はまことに判りにくいけれど、それだけに最も興味深い存在、ともいえるのである。

『演義』のイメージでは、劉備は包擁力の大きい有徳人となっている。しかし、実際はそんな判かりやすい人ではなかったようで、劉備のまわりの人びとは、何度も「判かりにくい人間」と彼を評しているが、宮城谷氏もまた他の登場人物とともにそう見ている、とも思われる。

 しかししだいに劉備像ははっきりした輪郭をもつに至る。「捨てて、棄てて、捨てつくす」という精神のありようで、前半生を生きのびる。蓄積をしない。捨てて逃げつづける。そういう劉備は、儒教的人間からは遠く離れていて、「大いなる空」とでも呼ぶしかない、と小説はいっている。「これまで考えられてきた君子とは違うタイプであり、かつて中国にいないような人」とも書かれている。捨てて逃げる――それは最大の非常識者であるがゆえに、あの争乱の時代のなかで強大な孫権や曹操に屈せず、非力ながら生き延びることができた。そういう不思議な人間なのである。そして、その非常識性を観取した諸葛孔明は、劉備の下につくことを選んだ。「孔明は最大に常識的」というのが宮城谷氏の示す人間像で、この劉備と孔明の描き方は本当の意味で新しく、説得力がある。このコンビによって、「三国の鼎立」がかろうじて出現するのである。

 宮城谷『三国志』で、もう一つ決定的なのは、曹操が長年押しつけられてきた悪役から解放されていることだ。軍師、さらには政治家として劉備や孫権とは比べものにならぬほどの才覚をもち、また結果を残す。曹操の文人性(詩人である)をいとおしむように描く場面のみごとさに、私はただただ溜め息をついた。魏・呉・蜀の長たる三人の英雄のなかで、天下を治めるということを真剣に考えたのはひとり曹操だけだった、といえるのではないか。

 劉備とは対蹠的に、努力家であり、統治力を積みあげてゆく。そしてもう一つの人格として、途方もない勇気の持ち主である。この勇気によって、乱世の英雄として傑出した存在となった。

 さらにいうならば、祖父にあたる曹騰(そうとう)は高位の宦官であり、後漢後期の時間の流れが孫である曹操のなかにもある(というふうに描かれている)。歴史のなかから英雄が生み出され、その英雄が歴史に参加し、歴史をつくり出してゆく。歴史のなかの人間は、同時に歴史をつくる人間でもある。人間が「史実の制御力」のなかにいる、というのはそのようなことを指しているとすれば、曹操こそは宮城谷『三国志』の中心になるのは当然のことであった。もちろん、主役たちだけでなくさまざまな英雄、傑物、奸臣たちも、そういう視座から語られている。

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文春文庫
三国志 第十二巻
宮城谷昌光

定価:803円(税込)発売日:2015年04月10日

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